 | 野中さん、最近のことですが小生、中央線の鉄道唱歌の歌詞を入手しました。 明治40年頃に作られたもののようで、甲府の界隈も丁寧に歌われています。 そこで疑問が湧いてきました。 もしかすると市史編纂に聞いてほしい、と野中さんに指摘されそうですが、ネットという公の場で、ご存じの方がいましたら、情報が欲しいと期待を持っています。
石和は鵜飼い 酒折は酒折の宮
そして甲府は東京(信濃町)から6時間で到着すると歌ったあと、24コーラスは次のようになります。
山梨県庁 舞鶴城 炊煙のぼる一万戸 杖曳く園に聳ゆるは 昔ながらの天守閣
もし、甲府市の当時の世帯数が1万世帯であっているとしたら、舞鶴城に天守閣があった、とならないでしょうか? ご存じでしたら、よろしくお願いします。
また、躑躅が崎の館跡は荒れ果てていると歌っていますが、武田神社が現在のように整備された経緯等について、情報を頂けるとありがたいです。 |
| Re: 疑問 鉄道唱歌 投稿者:野中一二(甲府市議) 投稿日:2010/03/22(Mon) 12:09 No.509 ち、さん、こんにちは。 >舞鶴城に天守閣は無かったでしょう。 ないほうが想像出来ると思いませんか。
躑躅が崎の館跡は荒れ果てているという事ですが、当然でしょう。 武田神社は1919年創建ですから。 ネットで調べてみると面白いですよ。 |
| Re: 疑問 鉄道唱歌 投稿者:ictkofu 投稿日:2010/03/22(Mon) 14:27 No.510 興味深い話題で、はまってしまいました(^o^)
1920年3月中旬撮影・県恩賜林記念館提供という甲府城址の写真が山梨新報に掲載されていました。 http://www.y-shinpou.co.jp/kisya-me/kisyatop.htm 2010.3.19の記事なので未だ数日は見られるかも。 http://ja.wikisource.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93%E5%94%B1%E6%AD%8C 中央線鉄道唱歌は確認できましたが、制作年月は不明です。 http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=671 甲府駅開業は明治36年6月11日、 http://www.town.tatsuno.nagano.jp/office/sc/0200-machi/jr100th-a/index.html 中央東線全通は明治39年、1906年です。
中央線鉄道唱歌で甲府城天守閣が歌われたなら それが1906年〜1920年3月の間で記録も残らず消滅したことになります。歴史的新事実にワクワクするエックスファイルです! 「♪川越線の分岐点 国分寺・・」というのは初耳で、興味深い中央線鉄道唱歌です。(この Wikisource が正しいとしてですが)
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| Re: 疑問 鉄道唱歌 投稿者:ち 投稿日:2010/03/24(Wed) 19:09 No.511 皆さん、ご返答ありがとうございます。 舞鶴城の天守閣は、私としては存在していた、と思いたいです。 中央線の鉄道唱歌で山梨県内は駆け足で紹介されている中、甲府は実に丁寧に歌われています。 その事を考えると、天守閣が存在した、かのように思えるこの歌詞をそのまま受け止めたいのです。
疑問の続きとして。 この頃は「昇仙峡に詣でる」とされていたようです。 経路は今でいえば、天神森から渓谷沿いに滝を見るコースだったようです。 そこで教えてほしいことがあります。
戦後、甲府市が北部の村と合併をしたようですが、この村の人達は、どのような経路で甲府や他の街に出かけていたのでしょう。 多分、マイカーではなく、路線バスとかといった交通手段に頼っていたと思いますが、旧昇仙峡グリーラインが開通するまで、車のルートは馬車道だったとは考えにくいので、よろしくお願いします。
話は脱線します。 これはこれで書けば宜しいのでしょうが、平成22年3月23日(火)に甲府市役所では人事異動の内示があったらしく、外野としては承認された職員が例年より少なかったと聞きますが、真偽の程がわかりません。 新庁舎建設、というビッグプロジェクトをにらんで人件費削減を念頭に置かれているのだとしたら、焼け石に水にもならないと思います。 前に結論をいただいたことですので蒸し返すつもりはありませんが、多すぎる職員を大鉈を振って削減する勇気、私としては市長に求めたいですね。 野中さんが感じられた内示のどよめきを紹介して頂けると嬉しいです。 |
| Re: 疑問 鉄道唱歌 投稿者:野中一二(甲府市議) 投稿日:2010/03/28(Sun) 10:32 No.512 ち、さん失礼しましたね。 >この村の人達は、どのような経路で甲府や他の街に出かけていたのでしょう。 >車のルートは馬車道だったとは考えにくいので、よろしくお願いします。
車なんてありませんでした、馬車もなく人々は荷物を背負って金桜神社から清川線を使って行き来していたと聞いています。 千代田村のかたがたは和田峠があったので、ずいぶんと助かった、あるいはその上の「金子峠」を使って往来していたのでしょう。 金子峠は武田氏の御用金を運んだことからついた名ですから。
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| Re: 疑問 鉄道唱歌 投稿者:ち 投稿日:2010/03/28(Sun) 19:19 No.513 野中さん、情報ありがとうございます。 黒平へ車が入ったのが、そう昔の話ではないと聞いたことがあります。 清川というと旧敷島だと思いますので、甲府駅に向かうとしたら、かなりの労苦だったのでしょうね。 紅葉の時期にクリスタルラインを通ったことがありますが、今の私に黒平から金桜神社を経由して敷島まで歩け、といわれたらネをあげてしまいますね。 今では当たり前になったマイカーに感謝、といったところですね。 足は弱くなってしまいましたけど……。
今回も余談があります。 野中さんのホームページにはたくさんの写真が掲載されています。 私も携帯で気になる風景は写真に撮るのですが、傾いてしまったり、露出が足りなかったりと失敗の連続です。思いでの写真となると後悔したりもします。 最近はフリーで高機能なフォトレタッチのソフトも出回っていると聞きますが、やはり野中さんはPhotoShopあたりを使って補正をして掲載しているのでしょうか。 宜しければ、ホームページの裏側の話を聞かせてください。
もう一つあります。 もし、ゴールデンウィークに昇仙峡方面に行くとしたら、野中さんはどんなコースを勧めますか? 希望としては、滝を見て蕎麦を食べて新緑が楽しめること、かな。 店によっては手打ちだったり地元の山菜を食べさせてくれたりするようですが、ガイドブックではなかなか情報が手に入らないので甘えます。よろしくお願いします。 |