
2004年2月18日、すっきりと霞も取れた珍しい北海道の天気の中、新政クラブ一同は小樽市の視察にやってきた。
小樽市は現在の人口約147,000人であるがかつては20万人口を擁した町であった。今日は甲府市から全国規模で出店を行い、この小樽にも3店舗を持つ株式会社タンザワの丹沢社長が自ら案内をしていただけるということで、今若者を中心として非常に人気の高い小樽運河を中心とした新しい観光産業地区の視察を行なうこととなった。
昭和61年(1986年)に現在の姿として甦ったこの運河については、大正12年(1923年)に完成以来、小樽の経済的地盤沈下及び交通体系の変遷等の紆余曲折を経て埋め立て計画が持ち上がったのだが、市民から大反対運動が出て現在の姿になったということである。その折に周囲にある歴史的建造物の保存運動も起こり、石造りや煉瓦造りといった建物の景観とこの運河の景観に着目した主に道外資本の手によって観光地として開発が続いているとの事である。

地元資本の北一ガラスさんがはじめてここでガラス工芸品を扱い始め、その後オルゴール館が出来、それからあっという間に現在のような新しい観光エリアが広がったそうだ。丁度その中心部には「メルヘン交差点」という名前のついている交差点があり、カナダ製の蒸気で動く大きなオルゴール時計が実に良い雰囲気を出している。この地区(小樽市がほとんどそうなのかもしれないが)にある数々のショップは外観は昔の小樽の雰囲気をそのまま使っている。これは市で指定して保存をよびかけている古い建物と、これら一連の観光産業(従来の形では決してくくれない新しい形の産業だろう)が持つ独特の雰囲気が、この古いものを大切にするというコンセプトで結びついているのではないか。あるいは古いもの(本物)の中にこそ夢がいっぱい詰まっているのか、どこのお店を覗いても一歩その中に入ると独特のそれぞれの雰囲気があり、不思議な事に其処にある商品が輝いて見えるのである。

確かに外は寒いのだが、次から次へと観光バスが無料の駐車場に入り様々な観光客がひっきりなしに下りてくる、おそらく台湾もしくは中国からの観光客だろうか、店内に入ってあっという間にその雰囲気のとりこになってゆくのが良く分かる。
かつて八ヶ岳の清里高原には、駅前を中心として数多くの雑貨やみやげ物を販売する店が並んでいた。「清里銀座」と言われ、夏にはそれこそ押すな押すなの大行列が出来た時代があったのだが、その栄枯は非常に早く、わずか数年で勝負がついてしまったのを思い出す。その後現在まで一部は残っているのだが、結局は「イミテーションの時代はイミテーションで終わった」という事だろう。今でもその中にあって隆盛を誇っているのは「本物志向」で歩んで来た者達ではないのだろうか。

この小樽という町には本物の歴史がしっかりと根付き、そしてそれが多少手を加えられているもののしっかりと残っている。その内の一つに「名取高三郎商店」という名前のかかった歴史的建造物に指定されている建物がある、明治39年に作られた小樽の明治後期の代表的商家建築の一つとあるが、この名取さんという方は山梨県出身の方だそうだ。
そして道路をはさんで寄せ棟瓦屋根で、角地に玄関をもうけ、2階にギリシャ・ローマ建築を思わせる飾りを配しているのが旧第百十三銀行小樽支店。設計は池田増治郎で、外壁は石張、内部は吹き抜けホールとなっている。その後外壁に煉瓦タイルを張り現在の姿となっている建物を購入して「小樽・浪漫館」としてガラス工芸品などを販売しているのが「丹沢社長」なのである。100年という年月を経て、しかも故郷を遠くはなれたこの地でなんと奇妙なめぐり合せなのだろうか。

その後小樽市の市街地中心部となるアーケード街を見て回ると、人口は甲府市より少ないのだが、買い物客は心なしか多いような気がする。そしてなんと言っても先ほどまで見て回ってきた観光スポットとしての小樽市と、全く違う実際の生活感がぷんぷんと臭うような商店街となっているのが良く分かってくる。
しかし、ここでも全国の中心市街地が抱えるようなスプロール現象が起きているのが見て取れるのである。年間およそ850万人といわれる観光客がこの小樽市にやって来るそうであるが、その人々が求めるものは小樽の生活ではないのだろう。それはメルヘン交差点に代表されるような異次元空間とでも言うべき時間と場所と、おいしくて安い寿司を求めての「すし屋横丁」だけなのかもしれない。
約3時間という長くて短い時間を一緒に歩いてくださった丹沢社長さん、ありがとうございます、あらためてこの場でお礼申し上げます。
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