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長崎県五島市福江町

武田家のルーツを探る

2008年1月29日 新政クラブ会派視察

1月29日・長崎県五島市福江→31日・福岡県福岡市

ここに一冊の本がある。「武田有義とかんかん地蔵」、田中尚純著、光明山法輪寺出版。今回の視察はこの本から始まった。

この本の帯には「甲斐源氏を率い、源平の合戦に出陣。武田家の始祖・武田信義の長男、武田有義の生涯と法輪寺縁起」そして「平家全盛の時代、十代で都に上った武田有義。清盛の長男・重盛に仕え、太刀持ちを務めたほどの若武者。しかし、源平の戦いに巻き込まれ、甲斐源氏の棟梁としてやむなく出陣」と言う言葉が書かれている。

簡単にこの武田有義について説明すると、新羅三郎義光を初代とする甲斐源氏にあって四代目が武田信義であり、その長男が六代目武田有義となる。そして現在の躑躅が崎の館へ移したのが二十五代武田信虎であり、武田信玄(晴信)は二十六代目となる。

五島市福江町視察
日本唯一の海上城の絵図面、作られたのは江戸末期

この武田有義は甲斐源氏の総大将として源平の合戦に参加し、1185年(文治元年)3月壇ノ浦にてその最後の戦いを行った折、両軍合わせて4,000隻もの船が入り乱れて戦いが続くうちに二男武田信盛の船は潮目に逆らえず船団からはぐれ、日本海へと出てしまったのである。やがて五島列島宇久島に漂着し島民に救出されることとなった。

一方武田有義はその後源頼朝の後ろ盾として甲斐源氏を対等とするために粉骨し、奥州征伐にも参加したとあるがその内容などは記録がない。しかしその後1199年(正治元年)梶原景時が画策した倒幕にのり翌年正月に軍を都に進める為駿河湾近くへ出たとき、梶原景時の死を知る事となり、急きょ船に乗ってその場を退却する事となったとしている。おそらくその行く先は五島列島宇久島ではなかったかと言う仮説がここで始まるのである。

この様な仮説の中にあって、我々は福井県にあったとされる武田家の子孫は朝倉義景に滅ぼされ、大分県にいたとされる武田家の子孫は毛利元就に滅ぼされていた等、歴史の中にあって唯一現存する直系からの武田家のルーツがもしかしたらこの五島列島にあるのではないかと考え、NHKドラマ「風林火山」が終わった後の次の一手に加える事が出来れば面白いと言う事と、歴史の中にある事実がきっと何かの手がかりとして甲府市の観光行政発展につながってくるのではないかと考え、今回の視察を行う事としたのである。

今回の視察では単に観光で終わらせないために、会派全員がこの書籍を購入し、法輪寺田中尚純住職にも事前のレクチャーをお願いし、当然五島市教育委員会へは書籍を送り、現地へ向かう事とした。

五島市福江町視察
五島藩火事装束 花菱の家紋

五島市教育委員会では地元の郷土史研究家を招へいし、この書籍の仮説に対してどのような見解をお持ちであるかを聞かせて頂く事が出来た。また、五島家第三十五代の当主にもお越しいただき、この事についてのお話を聞く機会を設定して頂いた。お二方共非常に驚いておられ、特に地元の郷土史研究の第一人者、文化協会会長様は「これが事実なら、今までの話をすべて変えなければならない」と驚いておられたのが印象的であった。

一方、漂着した島である宇久島は、以前は小値賀島と共に北松浦郡に属し、2002年の町村合併で佐世保市となっている、しかも「平の家盛ブロンズ像」まであるのだからいくら市役所に連絡してもとりつく暇がないのは当然だと感じた。
しかし民間のホームページでは『平家盛(たいらのいえもり)[1123年?〜1149年(病没)]:ということは、壇ノ浦の戦いが1185年だから家盛はとっくに死んでるということになる。家盛に対するはっきりとした記述はあまり残っていないようですが、残ってないがゆえに伝説化されてしまったのか、別の人間が家盛と名乗ったのか、間違ってそう伝えられたのか、本当に生きていたのか分かりません』と言う記載もみる事が出来るのだから、私たちの仮説にもあながち否定はできないと思えてしまうが。

一方資料館では、五島家火事装束やお盆、そして文箱にある家紋はすべて「花菱」であり、一説には武田菱は花菱の一種と言われている処から、何かの縁があるのだろうかと言う疑問も出てきた。

五島市福江町視察
五島邸と心字が池(池の形が心と言う字になっている)

市役所では疑問に感じていた事柄についてじっくりお話を聞かせて頂き、尚且つ今後の調査もお約束頂けると言う一定の成果を上げる事が出来た。そしてその後は第三十五代五島家当主のはからいで「五島邸と心字が池」(心と言う字の形をした池故心字が池と呼ばれている。庭をぐるりと回ると36匹のカメがその石組によって表現されているのが解る、また樹齢800年と言われている大楠の木がその圧巻を池に映し出している)を見学させて頂き、五島列島を配下におさめていた五島家の力強さを十二分に感じ取らせて頂いた。

突然の申し出で、さぞ教育委員会の皆様も、そして五島家当主様も驚かれたことでしょうが、歓待に感謝いたします。ありがとうございました。

参考リンク
 五島市
 五島市観光協会

 

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