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新政クラブ会派視察報告

平成16年5月18日〜20日

18日・新潟市ミニ公募債→19日・長岡浄化センター→19日・新潟県立歴史博物館→20日・金沢市・歩けるまちづくり

金沢市(5月20日)歩けるまちづくりについて

金沢市の視察では「行政評価の試行結果について」及び「歩けるまちづくり」が今回の視察のテーマでした。

金沢市長町の用水
金沢市 長町の用水

その内平成15年度に行った「行政評価の試行結果について」は財政課と連動した評価結果についての予算への反映ということが明文化されていることで、一定の評価が得られていると感じた次第です。これは「金沢市行政改革推進委員会」という民間人16名で構成される委員会から諮問を受け、実効性を高めたことが評価されます。このように審議をされたものから提言を受け、そして予算編成と連動させてゆくという動きがこれからの市町村では必要な事となってゆくでしょう。この一覧についてはホームページ「金沢市における行政評価の概要」でも詳しくフローをあらわしてあります。これをご覧いただければ一定のことは全て理解できると思います。担当者との話の中で、実際に人が人を評価する事の難しさを感じているような部分も見受けられました。その上でこのようなホームページでの発表についても「公表する事の大切さ」を実現しているなと感じさせられた次第です。

「歩けるまちづくり」については、概要を市役所の中で説明を受けた後市内に向かい、長町武家屋敷跡付近から市内を兎に角歩くことと致しました。この町の特徴は市街が開設されて以来約400年間一度も戦災を受けていない事にあります。前田公は戦全てこの地から離れて行ってきたことがその大きな原因ですし、甲府と違って空襲も受けていない事が現在のこの素晴らしい市街地を残している事につながって来ています。

用水と橋
用水と橋、ガードレールの観音開き部分は雪捨て用扉

もう一つの特徴は市内に55本もの用水(当日の説明では58と聞いたのだが、帰って地図で数えたら55しか見当たらなかった)があり、それが実に町の様子を落ち着いたものにしている事です。この金沢市内の用水は水量が多く、川辺にはとてもカワニナが住めないので蛍はいないようです。しかしこれで蛍がいるような流れだったらきっと夏場の渇水期には悪臭が漂い、昭和40年代の高度成長期には埋め立てられていた事でしょう。同時にこの豊富な水量のおかげできっと火災が発生してもすぐに消し止める事が出来たのではないか、こんな事をつらつら思いながら歩きました。

この町ではこのような交通事業については「交通政策課」が担当し、住民に対しても説明会等を開催したようですが、車社会から見ると交通規制などはもっての他ということでこの市街地の住民からすぐに1万人程度の反対書名が集まったそうです。幸いまだ市に対しては提出されていないようですが、暮らしを変えるということは難しいものです。この部署が担当しているものには「ふらっとバス」という名称のタウンコミュニティーバスもあり、一定の範囲ではこの100円バスが機能しているということです、

まちなかのトイレ
まちなかのトイレです

残念ながら今回の視察では乗車する事が出来ませんでした。その他前出の用水管理と道路整備に関しては「都市整備部用水・みち筋整備課」という全国でも珍しい名称の係りが担当しているということです。まあ地図を見ていただければ解りますが、これだけの用水の数とそれに沿って整備されている道路の状態を見ていただければ、これは一緒に整備した方が良いに決まっていますね。

これら用水及び道路については昭和40年代には私橋をかけ、ほとんど水面が見えないくらいに駐車場や通路として使っていたそうです。このことについて説明いただいた担当の方もその頃には橋をかけてもいいよと言って一定の指導をしていたそうですが、現在はそれらを全て撤去し、新たに一定の基準以内で橋をかけなおして戴いているようです。同時に用水の護岸整備を行い、側道の整備も行うと言った手法を続けてきて今日の美しい街並み整備までこぎつけてきたと言う事です。その他寺院の入り口については覆ってしまったコンクリートを「はつり」、昔の階段を表現するべく出来るだけ古い材料を使うなどの苦労をしているようです。歴史的な構造物としてみても、景観形成での豊かな水辺と言う観点で見たとしても、この町の用水を復元復活させると言う事は素晴らしい事だなあとため息が出てしまいました。(はつり:業界用語で壊すと言う意味、はがすと言うような壊し方)

改修には補助
このような改修には補助がつく

甲府市は「破壊」の歴史を繰り返してきました。武田氏がせっかく作った甲府の市街は、豊臣氏によって破壊されそれを継いだ徳川氏も一度破壊の上再構築した、そして明治維新では人々によって甲府城が破壊され、その上明治政府の鉄道敷設も追い討ちをかけて甲府城破壊の意図で行われた。そしてやっと再建した甲府の町は甲府空襲でまたまた破壊されたと言う歴史の経緯をたどっています。そのとき時に文化も破壊されたとしたら、これは惨めですがそうではないと思いたいですね。それにしても、甲府市が進めている北口開発で、このような用水が復活したら楽しい街になることでしょう。

金沢市の中心部にあるこのような歴史的な建物は、現在でも日常的に使われているそうです。中でも目に付くのが囲んでいる「土塀」ですが、これを修理復元しようとすると金沢市から90%の補助金がつくそうです。これはまちづくりで統一感をだすときに良く使われる手法ですが、過去に私の聞いた範囲では「ファサード」(家の正面、あるいは外から見える部分)に対して1/3補助と言うのが殆どだったような気がしています。この率で補助がつくとかなり思い切って改装できる事となるでしょう、そして街並みも一気に統一感がかもし出される事となるのではと感じました。

ポケットパーク
ポケットパーク

金沢市では市長は「そこにくらす人々のことを大切に考える」として、特に観光事業に力を入れているわけではないようです。しかしこれだけの過去からの資産があれば、それらを大切に生かすだけで十分すぎるほどの観光資源となります。その上で「広場、公園」に付いての整備を進めています、但し公園ばっかり作ってと言う非難をかわす為「防災広場」と言う表現をしているそうです。このまちなかの小さい空間がこれだけ狭く密集した古い市街地に潤いをもたらしています。

確かに防災と言う面でもそうでしょうが、家屋敷が密集した中での開放された空間には、近所の人が集まってくる井戸端が其処には感じられます。当然公園ですから緑が多く配置され、その手入れの手間も大変なものがある様ですが、金沢では用水の石垣積みや公園の管理に対しての職業訓練施設があると聞きました。このことはイタリアで建築学を学んでいる学生が2千人もいるのになぜ新しいものが次々と建っていないのだと言う質問に対して、ここでは古い石造りの建物の修繕を学ぶ学生がほとんどだという答えが返ってきたのと同じであろう。このような資産の管理が出来るのがまさに行政の仕事なのではなかろうか、歴史と文化と言う人類共通の資産の保全に対して、住民全体でその労役をこなすと言う事なのだろう。

これからも大切に保存して欲しい街並みである。

18日・新潟市ミニ公募債→19日・長岡浄化センター→19日・新潟県立歴史博物館→20日・金沢市・歩けるまちづくり

2004年5月23日  新政クラブ事務局  文責 野中一二

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