水は日光や空気と同じように、わたくしたちが生きていくために、なくてはならない大切なものです。
甲府市水道局では、この大切な水を一日もかかさず皆さんの家庭へ送るため毎日努力をつづけています。
ずっと昔には、人々は川や湖など水のそばでしか生活ができませんでした。しかし、順次、人々の智恵で井戸を堀ったり、遠くから水をひいてきたりして生活するようになり、更に進んで、今日のように水道を使って健康で明るい文化生活を営むようになったのです。
それでは甲府における水道の歴史をたどってみましよう。
甲府の町が始まったのは、永正年間(1504−1520)武田信玄の父信虎が石和から「つつじが崎」(現在の武田神杜)に館をつくり、移ってきた頃からといわれています。今でも館跡に当時使ったと思われる三つの古井戸が残っています。
その後、武田氏にかわって領主となった浅野長政が文禄年間(1592−1595)甲府城を築くと同時に、川から水をひき入れて甲府用水(1594年の開設で、1590年の江戸・神田上水に次いで日本で二番目に古いものといわれています。)をつくり、城及び城下の人に使わせました。
しかし、この用水は町用水専用ではなく農業用水と兼用でした。そのために古くから川の水を使う権利(水利権といいます)を主張する農民が優先的に水を取り、渇水期には上流から水を全く送ってくれなかったりすることもあって、甲府の町の人々は、昔から飲み水や用水の確保に大変苦労してきました。
甲府市水道局のホームページで、明治時代の「御膳水」と水売り屋のことが紹介されています。
しかし、この水を買って飲める人は、ごくわずかな金持ちだけで、大部分の人々は、雨が降ればにごったり、風が吹けばゴミが入る不衛生な堀割の用水を、農家の人達と水争いをしながら飲むより仕方がありませんでした。
上水道のはじまり
明治22年(1889年)、甲府に市制がしかれて甲府市となりましたが、市民の第一の望みは衛生的な上水道をつくることでした。しかし、上水道の水源として荒川から水を取ることは、下流の農家から猛烈に反対され、又日清(1894〜)、日露(1904〜)などの戦争が起ったりして何と20年もの間待たなければなりませんでした。
ようやく明治42年(1909年)になって、山梨県が仲介となり、下流の農家へお金を払い、1日約1万m3(立方メートル)の水を荒川から取ることの同意を得て全国で17番目の上水道として、国の認可を受けるとともに工事にかかり、大正2年(1913年)1月から26番目の上水道として給水をはじめました。
上水道の拡張
きれいな水がつきることなくほとばしる上水道の完成は、市民にたいへんよろこばれましたが、多くの市民が水道を使い産業の発展にも上水道が使われたため、10年もたつともう水が足りなくなりました。夏になると毎年のように断水さわぎで、水道の規模を拡張して、もっとたくさんの水を給水する必要に迫られてきました。しかし、荒川からの取水をふやすことは、下流の農民が反対しますので、今度は荒川の上流ヘダムを造り、これに水をためこのダムから水を取ろうとダムの建設を計画しましたが、やはり下流の農家に反対されて実現せず、結局、昭和8年(1933年)になって、下流の農家が使う水の「ため池」二つを造り、その代りに荒川から1日約1万5千m3の水を多く取ることで第一期の拡張工事が行われました。現在、魚つりやボート遊びで親しまれている千代田湖は、このとき造られた「ため池」の一つ「丸山貯水池」です。
このほか、隣の昭和町の湿地帯から地下水をくみ上げポンプで甲府市内へ送る昭和水源を開発した昭和28年(1953年)からの第二期拡張工事など、市民の水を確保するため水源をもとめ、配水池をつくり、配水管を延長して新しい宅地に給水するなど連続して4回もの拡張工事に着工し、昭和63年(1988年)3月第五回目の拡張を終了しました。この工事には山梨県と共同で造った荒川ダムの建設が含まれています。
荒川ヘダムを造って水道の水を取ることは、永い間の甲府市民の念願でした。このダムの完成により、武田氏の時代からずっと水不足に悩み続けてきた甲府の街もやっと一息ついて、当分の間水の心配をしなくてすみます。
長い年月とばく大なお金(第五期の拡張工事だけでも、約350億円)を使ってやっと確保した貴重な水を有効に大切に使いましょう。
このページは甲府市水道局の資料を参考にして編集しました。
2003年5月に甲府市水道局のホームページがリニューアルされました。その中の「こうふの水道の歩み」には多くの写真などの資料が掲載されています。また、「甲府市水道局水道施設」は、甲府市水道の給水区域全体がわかる図です。このページの下に記した配水池の位置も分かります。
| (給水人口・戸数) | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 地区区分 | 甲府市 | 敷島町 | 昭和町 | 玉穂町 | 合計 |
| 給水区域 | (除)能泉・宮本地区の9町 | (除)睦沢・清川・吉沢 | 全域 | 全域 | |
| 総人口 | 195,919人 | 18,728人 | 15,931人 | 10,124人 | 240,702人 |
| 給水人口 | 194,922人 | 16,953人 | 13,404人 | 9,726人 | 235,005人 |
| 給水戸数 | 77,347戸 | 5,931戸 | 5,077戸 | 3,501戸 | 91,856戸 |
| (水量・収益) | |||||
| 区分 | 年間 | 1日 | |||
| 配水量 m3 | 3,871万 | 105,786 | |||
| 有収水量 m3 | 3,167万 | 86,779 | |||
| 給水収益 | 57億8千万円 | 1,585万円 | |||
| (送・配水管の長さ) | |||||
| 管種 | 口径 | 延長 | |||
| 送水管 (含導水管) | φ1200o〜100o | 46,087m | |||
| 配水管 | φ1000o〜50o | 1,148,800m | |||
| 合計 | 1,194,887m |
送・配水管延長・約1,194q 東京〜甲府〜博多間=1,180.3kmに相当 1人1日に使う水の量・450リットル=18リットルのバケツで約25杯 1日に使う量(配水量)・平均 105,786m3=甲府市役所庁舎をマスにして約5杯 |
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災害時には何と言っても、市民生活のライフライン(水道・電気・ガスなどの供給施設をいうが道路・鉄道・電話まで含めていうこともある)の確保が最も重要です。
1.非常用貯水槽
地震などの大きな災害時に住民に飲料水を供給できるよう、昭和62年から年次計画により非常用貯水槽を設置しています。 この施設は、災害発生後の最低必要飲料水1人1日3リットルを3日分、これに最低生活用水として1人20リットルを加算した29リットルを1人分とした、計画人員分の貯水槽を小中学校の校庭の地下に埋設し、非常用飲料水を確保しています。
これまでの設置場所は次のとおりです。(1m3 = 1000リットル = 約34人分/3日)| 設置場所 | 形状・大きさ(円筒形) | 容量 m3 | 完成 |
|---|---|---|---|
| 春日小学校校庭 | φ3,000m/m x 15,000m/m | 100 | 昭和62年 |
| 玉諸小学校校庭 | φ2,600m/m x 10,000m/m | 50 | 平成元年 |
| 東中学校校庭 | φ2,400m/m x 14,500m/m | 60 | 3年 |
| 山城小学校校庭 | φ2,600m/m x 14,000m/m | 70 | 4年 |
| 富士川小学校校庭 | φ3,000m/m x 7,800m/m | 45 | 4年 |
| 大里小学校校庭 | φ2,600m/m x 11,000m/m | 55 | 5年 |
| 伊勢小学校校庭 | φ2,600m/m x 15,000m/m | 75 | 7年 |
| 東小学校校庭 | φ2,600m/m x 12,000m/m | 60 | 8年 |
| 琢美小学校校庭 | φ2,600m/m x 10,000m/m | 50 | 8年 |
| 国母小学校校庭 | φ2,600m/m x 16,000m/m | 80 | 9年 |
| 湯田小学校校庭 | φ2,600m/m x 15,000m/m | 75 | 9年 |
| 貢川小学校校庭 | φ2,600m/m x 13,000m/m | 65 | 10年 |
| 相生小学校校庭 | φ2,600m/m x 9,000m/m | 45 | 10年 |
| 大国小学校校庭 | φ2,600m/m x 12,000m/m | 60 | 11年 |
| 新田小学校校庭 | φ2,600m/m x 10,000m/m | 50 | 11年 |
| 穴切小学校校庭 | φ2,600m/m x 8,000m/m | 40 | 12年 |
| 石田小学校校庭 | φ2,600m/m x 15,000m/m | 75 | 12年 |
| 池田小学校 | φ2,600m/m x 12,500m/m | 60 | 13年 |
| 甲斐市敷島中学校 | φ2,600m/m x 12,500m/m | 60 | 13年 |
| 朝日小学校 | φ2,600m/m x 12,500m/m | 60 | 14年 |
| 甲運小学校 | φ2,600m/m x 8,000m/m | 40 | 15年 |
| 新紺屋小学校 | φ2,600m/m x 12,000m/m | 60 | 16年 |
| 甲斐市敷島南小学校 | φ2,600m/m x 12,000m/m | 60 | 16年 |
学区再編に伴う非常用貯水槽の取扱について(補足・2002年8月9日、水道局からコメントをいただきました。)
『非常用貯水槽の設置につきましては、甲府市地域防災計画に基づいて、年次的に避難所(小学校等)に設置しております。小学校は、教育や地域活動の拠点になっているとともに地域防災上の避難所にも指定されていることから、再編後の跡地利用等の方向性に配慮しながら防災関係担当とも慎重な協議をしていく必要があると考えております。』
2.災害時併用の配水池など
給水区域内の各所には耐震化構造の配水池などが設置され、平常時はそれぞれの地域へ送水・配水をしていますが、万一の地震災害時には緊急遮断弁の自動作動などにより、次の貯水容量の浄水が確保されます。
*印 緊急遮断弁設置
| 施設名 | 貯水容量 m3 | 配水区域 | 設置場所 |
|---|---|---|---|
| 平瀬浄水場内浄水池 | 15,700 | 市内・敷島町 | 平瀬町 |
| *湯村山ずい道配水池 | 13,360 | 市内の北部・高台方面へ | 湯村山 |
| *高区配水池 | 1,800 | 市内の中心部・北部・高台方面へ | 和田町 |
| *山宮配水池 | 600 | 山宮町方面へ | 山宮町 |
| *山宮減圧槽 | 556 (278 x 2) | 市内の西部へ | 山宮町 |
| *羽黒配水池 | 8,000 (4,000 x 2) | 市内の北部・西部へ | 羽黒町 |
| *中区配水池 | 6,280 | 市内の東部へ | 愛宕山 |
| *高区西配水池 | 1,800 | 敷島町へ | 敷島町 |
| *千代田第3配水池 | 163 | 千代田地区へ | 上帯那町 |
| *南方PCタンク | 8,500 | 市内の南部・昭和町・玉穂町へ | 昭和町 |
| *北方PCタンク | 12,000 | 市内の南部・昭和町・玉穂町へ | 昭和町 |
3.避難所での飲料水確保など
各小中学校プールの水を災害時に備え、常に満水状態にしておき、火災の消火、また設置してある浄水器(甲府市役所所有)により避難した住民への緊急飲料水として活用できるようにしています。
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