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甲府の水道

水争いの歴史−3

甲府市水道局企画経営課 内藤課長補佐により作成された原文によります。Webページ編集は野中一二事務所です。

3町給水と補償事業の経緯・続編

4.給水区域の拡大

前事業計画(第2期拡張事業)において、給水区域に編入された「敷島町、昭和村の一部」は、この事業計画(第3期拡張事業)で「昭和村の全区域ならびに敷島町の一部」に改められ、「上水道給水区域編入に関する協議」により同意を得た上で、正式に給水を開始することとなった。本市としては荒川からの水道取水について最も関係が深く、また反対運動も強い敷島町を給水区域に編入することによって、荒川からの取水を円滑にしようという大きなねらいと同時に、上水道に関して同じ水道の水を飲む「運命共同体」となることも重要な視点であったと思われる。

その後敷島町については、昭和42年度には補助水源工事が完成、昭和43年(1968年)には西高配水池築造と、順調な事業実施が進み、43年度には敷島町と、甲府市西北部一帯へこの配水池からの給水が開始された。一方、昭和村全村の給水区域編入については、昭和水源は豊富な水量で50,000トンの増量取水も見込まれたが、今後の増量取水で、各部落の掘抜き井戸等にも影響がでることが予想されたこと、当初の条件として役場、小学校は給水対象となっていたこと、当地が日本住血吸虫の濃厚生息地であり、全村給水区域編入が村議会の希望であることなどが主なる理由であった。

5.増量取水と新たな補償

昭和からの50,000トンの増量取水に頼らざるを得ない状況下では、当初の湿田解消という昭和村のメリットは、転じて流水、湧水不足による農業用水の不足、掘抜き井戸への影響などを心配する声が出始め、さらに、水道専用道路の築造などについても苦情の申し立てや、補償要求が続出し、本市と昭和村とは、第2次の補償契約を取り交わすこととなった。愛宕山の低区配水地への送水が開始された昭和43年(1968年)以降、昭和水源からの取水は一日平均36,000トンを超え、取水開始当時の10倍にも達することとなり、かつての湿田地帯は二毛作が可能になった反面、冬期や春先の乾燥期、夏の最需要期の用水不足、旱害などが見られるようになった。このため補償内容は、単に補償金や補償工事に止まらず、農業用水を実質的に確保するための灌漑用水、飲用水、養鯉用水などを供給する内容に変わっていった。

昭和村築地(南方)に水源を求めた補償では、下流の玉穂村からも取水工事の中止や取水地点の変更を求める要求が出された。昭和44年(1969年)2月、玉穂村から築地地区は玉穂村井の口、下河東、上三条の灌漑用水源であり、井戸水の減少等生活用水にことかくことになることが問題視され、取水工事の一時中止と、築地から玉穂村へ流入する水系の調査要求が提出された。

6.玉穂村への給水開始

深井戸のため表流水には影響ないこと、万一用水が不足する場合は補償井戸により揚水し放水することなどを確約したが、玉穂村は了解せず、反対運動は「取水反対期成同盟」となり、激しさを増していった。その後、本市の再三に及ぶ説明にも玉穂村ではなお難色示したが、当時甲府市、昭和村、玉穂村で造成中の「国母工業団地」への給水に合わせて、玉穂村をも給水区域に編入することを検討するなど種々の条件が示されたことで、玉穂村の態度は軟化していった。

第3期拡張事業は築地からの取水問題により変更を余儀なくされ、最終的に昭和町との取水契約が結ばれたのは、昭和47年(1972年)9月である。玉穂村とは1年遅れの昭和48年(1963年)11月には玉穂町村全域が甲府市の給水区域に編入されると同時に、補償金、灌漑用施設の設置・維持管理等の補償内容が契約され、名実ともに玉穂村は本市の給水区域となった。

時を同じくして、竜王町からは、昭和水源の影響による井戸の渇水問題が惹起され、この補償についても1,400万円という補償金が支出された。さらに、甲府市域である大里地区からも、昭和町や玉穂村と同様の抗議が出されたため、一部地域への給水を確約する回答となった。

おわりに

3町への給水開始に関する経緯は以上であるが、その後はこれら隣接区域の給水区域の拡大編入及び未普及区域への給水のため、更なる拡張事業として、第4期拡張事業を展開する必要が生じた。しかし、給水区域拡大に伴う給水量増に対しては新たな水源開発は行わず、第3期拡張事業の既得水源の能力内での事業とし、第1水源の平瀬より日量26,400トン、第2水源昭和より日量100,000トンの合計126,400トンとした。

さらに第4期拡張後、直ちに荒川ダム建設による新規100,000m3/日増量取水に伴う第5期拡張工事を実施することとなった。この拡張工事は昭和60年度の給水人口を273,000人とし、1日最大給水量を196,000m3、1日平均166,600m3とするものである。この計画後、本市水道事業は、第3次総合計画、見直し計画、新総合計画へと歩を進め現在に至っている。

3町への給水開始の歴史は、まさに本市水道事業の水源確保の歴史である。北は荒川上流の扇谷渓谷、東は石和町や中道町、南は昭和、田富町、西は八田村にまで水源を求めていった彷徨の旅は、一言では言い尽くせない苦難で織り成されている。一滴の水が飲料水として供給されるまでには、その一滴が持つ重要な意義を省みなければならない。水道事業の原点である水源確保の苦労と努力の歴史の中から、決して水は「天からもらい水」ではないことを肝に銘じ、この貴重な経験を将来の水道事業へと引き継いでいかなければならない。

ではこれからの甲府市水道局はどうなるのでしょうか。

この問題が町村合併のひとつの手段として使われていますが、そんなことしてはいけません。それよりももっと給水区域の方々に理解していただくこと、そして大切に水を使っていただくことを考えるべきです。

たとえば玉穂町では、3000世帯の新しい街を作る計画があるようです。こんなときには当然現在の給水区域の全ての方に均等負担がかかってきます。

新しい町の住民にも、今までの住民にも、納得できる使用料体系を作り上げること。こんなことが必要なのでしょう。

もし現在のままの給水区域ですと、企業会計の水道局は次第にその料金が下がることとなります。ちなみに今年の4月から料金値下げになります。メンテナンスの費用を計上し、耐用年数が過ぎた施設の改修だけだとこれが続きます。

では皆さんは「荒川ダムがその寿命がくることになる」という事、考えたことがあるのでしょうか。少なくとも私の生きている時代は大丈夫でしょうが、そのようなことを考えてゆかねばならないのが「行政であり、政治家」ではないのでしょうか。

これからも野中一二、「都市百年の計」に基づき、「くらしてみたい街」に挑戦してゆきたいとおもっています。

メールマガジン『野中一二の人は石垣、人は城』
平成14年2月12日・第9号所収

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