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甲府の水道

市外給水域から見た目

現在合併議論でゆれている周辺給水域から甲府を見てみましょう、水道が元で何かが見えてくる気がいたします。
甲府市の水道事業にとって昭和水源は苦難の末に見つけた貴重な水源です。ここにいたるまでの事実を甲府市からではなく、昭和町側から見た場合はどのように記述がされているのでしょうか、「昭和町史」を繙き検証してみたいと思います。

昭和町の水道(昭和町から見た上水道)

 昭和町一帯は、非常に地下水位が高く、古くから「どぶ田」と呼ばれる地域が広がっており、いたるところで自噴の井戸を使った生活水を供給していた。
ちょうど現在イトーヨーカ堂がある辺りは、昔は「葦間」と呼ばれていて、耕作が出来るような地域ではなかった一帯である。その後甲府市水道局が取水井戸を掘ることによって地盤が改良され、現在のように商業地域として開発されている事は、周知の事実である。

 昭和町の水道問題は、町村合併とともにスタートしたと言っても過言ではない。
昭和町史(第十三節・入市を捨て町制を採る)によれば、甲府市長が第二十二代山本達雄市長[昭和24年(1949)2月から28年(1953)まで]の時代に打ち立てた大甲府市構想にあるとしている。この構想とは、釜無川と笛吹川に囲まれた三角形の内側を一市とする構想であった。

 時の昭和村では、今は甲府バイパスによって南北に分断された形になっている清水新居地区が、特に甲府市への合併に積極的であった。その推進理由は「戦禍を受けたとはいえ県都甲府はやはり物資が豊かで配給も多いだろう」「水資源を取引材料に使えば有利な入市条件が得られるのではないか」と言った事情であった。しかしこの合併は、当初は二十一対ゼロで可決したのだが、甲府市側が「釜無川の伏流水には水利権がない」と言う態度をとったことにより、成立にはいたっていない。(甲府市側は水資源を取引材料にされる事を拒否した訳である。)

 その後、昭和水源・昭和北水源を提供する代わりに上水道の給水契約を結び、昭和37年(1962)12月26日には通水式を迎えることとなった。給水契約によって甲府市の補償でプールが出来、井戸が掘られ、紙濾阿原などに井戸が掘られた(今でも補償井戸と言う)。
その後、甲府市が契約を十分に守らないと言うので、昭和52年(1977)9月28日、昭和町側が二十一本の取水井戸のうち四本のバルブを閉めるという多少のトラブルはあったが、県都との共存関係は維持されている。

「昭和町史」は、このような記載で水道問題を締めくくっています。
以上簡単ですが、昭和町から見た甲府市水道局の給水にいたる事情です。「伏流水の水利権」という問題は、別稿で考察しましょう。

メールマガジン『野中一二の人は石垣、人は城』
平成14年1月22日・第2号所収

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