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甲府の水道

市外給水域から見た目

現在合併議論でゆれている周辺給水域から甲府を見てみましょう。玉穂町は、その水道業務を甲府市水道局に依存しています。前回に引き続き、水と言う側面から合併が見えてこないでしょうか。

玉穂町の水道

 玉穂町は大小河川が縦横に走り、古来より県内有数の水田地帯であった。町全体が釜無川扇状地の低地部に当たり、笛吹川との合流地点に近く、甲府盆地の河川の落ち合う低地である。そのために山梨県にあって平坦な土地が広く得られ、水田としての環境には最適であったことにある。しかし一方では地下水位が非常に高く、平均1メートルほど掘り下げると地下水がじわじわと湧き出てくる。かつて土葬であったころは、この水をくみ上げながら 1.5メートルほど掘り下げることは大変な労働であった。(以上玉穂町史による)

 このような状況であるから、古くから井戸の利用は盛んであったようである。しかし、昨今の工業化の波はご多分にもれず「地下水の汚染」を引き起こし、同時に使用する農薬等の化学薬品による汚染も深刻な問題となっている。かつては用水を引き、飲用にまで利用できた水資源であったが、現在その姿は想像の産物でしかなくなってしまっている。

それらの事については現在もなお使われている地名に名残をとどめている、一例では「井ノ口」(泉の元と言う意味)、「成島」(水音高く鳴る島と言う意味)、「今川」(甲斐国史によると、今川については押越村ニテ東ノ水ヲ分チ引テ・・と言う記載で〔今の川〕と言う意味で使われている)、「乙黒」(おと[音]くろ[畔]、つまり水の音が聞こえる)などの記載がある。

これらの記載を確認してゆくと井戸についてはかなりな富裕層が使用できたものであり、多くの住民は暗渠などによって引かれた水や、河川の表流水を生活用水としていたことが理解できてくる。

 このような中、昭和31年(1956)12月19日、時の甲府市水道管理者水道部長 木島繁と、玉穂村村長 杉野保は昭和村西条地内からの取水に際して、四条に渉る契約を結ぶことと成った。その内容は、維持管理・取水に対する影響・補償等について記載がなされている。その後昭和32年(1957)補償額が決定し、極楽寺、高橋、乙黒の三区に対し、それぞれ支給配分されている。

昭和46年(1971)には甲府市水道局第二次拡張計画に基づき以下の三項目を了承し、甲府市との水利権争いは終結したとしている。

  1. 玉穂村全域を甲府市の給水区域に編入する。
  2. 灌漑水用補償井戸四本と三箇所の灌漑池の設置
  3. 上水道敷設
以上であった。
その後、現在(平成13年度)において、玉穂町水道普及率は100%である。
なお、『玉穂町史』の『生活用水』最終行は「現在生活の利便さを思うとき、こうした先人たちの尊い汗の結晶と、後世に残すべき視野の広さがあったればこそと感謝したい。」と言う風な記載があるのだか、ここで言う視野の広さとはどの事柄をさすのか、残念ではあるが現在の玉穂町史には記載がない。

 今回で甲府市外給水区域三町の甲府市水道局との係わりについて、それぞれの 町史から垣間見たことになる。それぞれの地域の思惑や、時の時代背景について 考察するに、「常に一定方向からの視線」と言うことの危険性を改めて感じたし だいであった。

特に今回のテーマである「水争い」と言う出来事は、時代の中では一部風化して 考えられがちであるが、水がなければ人間は一週間で死んでしまう現実も再認識 する必要があるだろう。水と塩があれば人間は50日近く生きてゆけるそうである、

今の日本でこの事について危機感を持って話が出来る人がいかほど存在するだろ うか。甲府との市町村合併において、この水争いの事を持ち出すことが得策なの かどうか。すでに公益企業となった今後の甲府市水道局の業務についてどのよう な指針を示してゆくのか、それこそ指導者に一考していただきたいことである。

さらに野中一二は、これら問題提起に止まらず、今後の政策提言、ホームページ、 メールマガジンなどの中で、私見を展開していく予定である。

メールマガジン『野中一二の人は石垣、人は城』
平成14年1月29日・第4号所収

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