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100年で考える都市計画

歩いてくらせる街づくり

今、都市計画について様々な議論が出ている。これは地方分権の一環として、今まで国の許認可権であった土地利用政策が都道府県に下りてきたことから始まっている。いわゆる線引きの見直し(都市計画区域と都市計画区域外の境)であるとか、青地・白地(青地とは優良農地として農業以外の使用を制限している区域、白地はそれ以外の区域)にかかわる問題等である。そして各地で行われている様々な土地開発や、バブル期に着手され放置されてきた都市再開発計画が、住民の強い要望で動き出さざるを得なくなってしまったこと。中心市街地活性化法(TMO法案)で指定された各地の旧市街地の開発などなど、それぞれの思惑が交差する中、新時代に向かっての胎動が感じられるようになってきた。しかし残念なことは、ほとんどの都市計画が10年程度のスパンで行われようとしていること。そして各地の都市計画などの基本である「総合計画」が、最長20年程度のものしか出ていないことにある。成長を持続しなければならない都市計画について、たった10年や20年といった短いスパンで考えてしまってもいいのだろうか。

 確かに都市の一地区に対する開発計画などは、そこに居住する住民に与える負担などを考えるなら10年程度の計画が望ましい。しかしそれらを含む大きな都市圏の開発という事になったなら、果たして10年程度の計画で実行できるのか。そのような基本から「100年で考える都市計画」について検証してみたい。

まず初めに都市計画とは何であろうかを考えてみたい

 かつて戦いに明け暮れていた時代は、その都市を征服した国の王が既存の都市を破壊し、己の欲望のために再構築して行った時代が続いた。そうした中にも人々のたゆまぬ努力の結果膨張を続けた都市があり、時代の変遷とともに「いかにして楽に暮らせるか」という基本的人間の欲望により、都市が変化を続けて行ったのである。人々や荷物の運搬手段として家畜を利用することから始まり、馬車となり、そして自動車の時代へと移っていったのである。そこでは従来からの道路と言う概念が崩れ去り、拡幅された街路が要求されることとなっていった。そこで最初の選択は、従来からの都市を放棄して「新天地に向かう」という行為が検討された。同時に食糧自給が飛躍的に進み、人口増加が著しくなった事がこの動きに拍車をかけることとなっていったのである。これは新大陸と言われているアメリカ大陸において顕著にこの動きが始まり、現在のいわゆる都市計画の始まりがこの時点からスタートしたと言っても過言ではない。そして数々の著名な建築家がこれらの計画で名を馳せる事と成ったのである。

 視点を我が国土に置いてみる事とする。人足によって運搬された荷駄は家畜の背を借りることなり、荷車となって往来を移動した。しかし人間の移動については相変わらず徒歩が主で、一部で籠などが使われたがこれも人足の手で移動していたのである。それが馬車と言う手段を経ず、いきなり自動車に移行してしまった。(但し一時期の日本では鉄道の普及が国家事業となり、その影響で世界にも類を見ないような鉄道王国となっているのである)この事により第二次大戦後日本で高速道路の建設計画がスタートし、世界銀行の融資を受けるべくアメリカの調査団が来日したときに「日本には道路がない」と言ったのは有名な話である。もう一つ逸話を話すと、その後首都高速道路が設計されてきたのだが、アメリカ人による当初設計は全て三車線であったが,当時の建設省の官僚は「日本には三車線の高速道路は必要ない、そんなに車は走らない」と言ってすべて二車線に変えてしまったのも有名な逸話である。都市間をつなぐはずのバイパスと言う道路についても同様、「沿道サービス」と言うことで、市街化調整区域を走る道路であってもその両脇には生活関連施設、もしくは交通関連施設の建設が許可されている。この様な「規制と言う鞭と特例と言う飴」を使い分けることによって、都市の開発についても一定の基準はあるものの、様々な不合理を抱え込んでしまっているのである。

 本来の都市計画とは一体何のために行うのであるのか。「そこに暮らす住民のため」と言う大義を忘れてしまいそうになっているのが、現在の各地で行われようとしている都市計画なのではないだろうか。

歩いてくらせる街づくり

 人間は二足歩行することで脳の発育がほかの動物たちと劇的に変化し、空いた両手を使って様々な道具を使うことを覚えて発達してきたと理解している。そこでの基本的な「二足歩行」、これが都市計画のキーワードになりはしないだろうか。つまり「歩いて暮らせる範囲での生活が基本」と言うことである。勿論青年の歩行範囲と,高齢者や子供たちの歩行範囲、障害者たちの歩行範囲と言った様々な範囲があるのだが、その基本行動範囲という概念をもう一度持つことからはじめることがもっとも大切である。その後、様々な歩行補助用具を使って行動範囲を一定化すればよいことだろうし、そのための補助用具はすでに市場に数多く出回っている。つまり新しい都市計画の基本は「歩いて暮らせる街づくり」(平成12年春、建設省(現在国土交通省)はこの名前でモデル都市を募集し、そのための基礎調査をすでに終了している)なのである。そこでもう一つ考察してみることとする、つまり100年後の都市でもっとも必要になると思われるのは歩ける範囲と言うことになりはしないかである。人類は今後とも歩くことを決してやめないだろう、それはいかなる交通手段が発達しようともである。

 交通手段の発達と利便性の追求が現在見られるような発達した社会を作り上げてきている、同時に様々な不都合をも生じさせて来ているのではないか。文部科学省によると小学校の児童の通学距離は概ね2キロメートルとしている、甲府市の場合は1.4キロメートルに設定してある。「昔の子供は1里(4キロ)を歩いて学校へ行った」と言うような話は現在ではほとんど聞かれなくなっている、山間地やへき地の学校ではスクールバスを走らせ、学校に通う子供たちの足を確保している。都会では、私立などの学校に通う子供たちが電車・バスと言った交通機関を利用している姿を見かける。つまり2キロメートルに対する「足の確保」であろう。大人の世界では様々な「歩行補助用具」が活躍している。自転車・バイク・自動車、あるいはバス・電車と言った公共交通機関である、また高齢者に対してはシニアカーと呼ばれる歩行補助用具などがあげられる。しかし基本はやはり「歩行」である、同時にこの歩くことを最大のテーマとしてこれからの都市計画は進まなければならない。

歩くと言う視点に立って現在の甲府市を見てみよう

甲府盆地のほぼ中央に位置する甲府市は南北に細長い街である。北端の金峰山からスタートすると一気に南端の大津町まで滑り台のようである。その中心に位置する開発された街だけを捉えても、JR中央線を挟んで南部に比べて北部は傾斜のきつい地形になっている。いわゆる上るプラスのエネルギーに対して、下るマイナスのエネルギーが双方で必要になってくる。幹線道路のみならず枝道についても道幅が狭く、100年前から区画が整理されている割には自動車の通行にはあまり好ましくない環境である。道路を利用しているバスについては、甲府から放射状に延伸している路線のみであり、中心の周回バスがないことなどから赤字路線が多く、高齢者などの利用は多いものの一般的に利用されている公共機関とは言いがたい。鉄道はこの地域を横切るJR中央本線、Jの字の形に走るJR身延線が走っているが、これもまた周辺部と甲府を結ぶ旅客運搬の幹線とはなりにくい。なんと言っても甲府盆地全体では「車」である。前出公共交通機関の不備が大きな原因と言われているが、ここまで来るには車の便利さが次第に公共交通機関を圧倒してしまったのではなかろうか。このような地理的環境から、山梨県は全国的に見ても軽自動車の普及率が非常に高く、甲府市では原動機付自転車の販売台数率は全国有数になっている。結果として、「甲府に住んでいる人は平均して歩かない」と言われており、東京などでは考えられないほどの歩行歩数になってしまっている。つまり、車の多用とその他の補助用具での移動が当たり前になり、市街地では「居酒屋でも駐車場のないところは繁盛しない」など、飲酒運転の多さは全国でも目を見張る数字となっている。

全国的にも言える事なのだろう、この様な自動車に頼る生活からは「中心部のスプロール現象」が発生し、郊外への人口移動が加速してゆくこととなっている。勿論これだけが全てとは言いがたい、旧市街地の土地価格の高さであるとか住宅の敷地の狭さから、古い住宅を取り壊し新築するとしても駐車場が確保できない。また古くからの町並みは進入路が狭い場合が多く車で自分の家まで入れない(現在では消防法の規制や、都市計画法によりいわゆるセットバック条件で建築は可能なのだが)。甲府都市計画区域にのみ存在する「線引き」により、周辺町村のほうが建築条件が緩和されており、特にバブルの頃はその土地単価に大きな開きがあったため、住宅が建築しやすかった。これらの諸条件などにより郊外に住まいを求める特に若年人口が増加したことで、甲府の旧市街は人口が次第に減少してゆくこととなってしまったのである。これは同時に商業圏の衰退にもつながり、いわゆる町の魚屋さん・八百屋さんと言った個人商店が減少し、一店舗で何でもそろうスーパーの利便性からもますます「町内商店」が減る要因となってしまった。また個人の時間を大切にすると言う風潮から、買い物でも大型店舗でまとめ買い志向になり、ますます駐車場完備の大型店舗がその力をつけてゆくこととなってゆく。いわゆる「駐車場神話」甲府市の中心市街地に対するアンケートの結果、圧倒的第一位は大きくて入りやすい駐車場。また中心市街地の商店主は、客足の減少を駐車場がないからと言う理由を第一位に挙げている。ここには大きな落とし穴があり、全国何処でも繁盛店はその店でなければという物を持っている、つまりオンリーワンが有る事に商店主は気つかず、消費者の駐車場と言う理由は、この理由なら誰も傷付かずに断れると言う優しい気持ちなのだと言うことを理解しようとしていない)がこの様な理屈から生まれたのであろう。

取り残された弱者たち

甲府市では中心部に居住している方の平均年齢がどんどん上がっている、まさに高齢化社会のモデルケースとでもいえるような街になってしまっている。この事はいわゆる交通弱者老人・子供など、歩行補助用具が自在に使いこなせない人達)が、そんな中でも市街地に商店などが点在する地区を離れることが出来ないでいる。この様な理解をしても良いのではないか、つまり、自身で移動して暮らせる範囲がまだまだ甲府は一定の範囲にあると言うことだろう。しかし、そのために起こる事は様々な活動に波紋を投げかけている。一例を挙げると「自治消防団が組織できない」と言うことがある。現在はかろうじて存在しているが、その参加者は次第に減少し、地区の消防と言うものが存続の危機に瀕するのも時間の問題と言われている。当然体力が必要とされているこの様な活動はほかにもあるのだが、それら全てが公的支援をして行かなければ成り立たなくなってしまう現実が迫っているのだ。

勿論現実を見ると地域の住民も様々な知恵でその解消策に乗り出している、例えば前出消防団(全国で約95万人がこの団員である)であるが、昨今全国的に女性消防団員が増加している。これは甲府市内でも言える状況だが、子育てを終わった主婦が積極的にこの活動に参加し、大きな力となって活動を支えているのだ。この様に女性の社会進出は経済社会だけでなく、地域社会にも深く浸透し始めている。(いわゆる婦人会組織と言うだけのものではなく一定の条件下男女平等が当然のごとく浸透していると言う意味である、これは従来は男社会であった組長・区長と言った自治会組織そのものにも波及して来ている。大きな要因は高齢化のみならず勤労者のサラリーマン化が進み、主たる生活地と勤務先が異なっている場合が多くなってきたことも遠因と言えるだろう)そうして1+1は2となるような新しい地域の共同体が芽生え始めている事も忘れたくない現実である。

余談・忘れてはいけない楽にくらしたい本能

「歩いてくらせる」と言う話をしているうちに、「人間は元々楽にくらしたいと言う気持ちを持っているんじゃないんですか、だから本当は人間はあまり歩きたくないのでは」と言う会話をする機会があった。
その通りだと思う。所詮「われに七難八苦を与えたまえ」などという人はほとんどいないだろう、あえて自ら苦労を拾ってゆくなどと断言できる人もいないと思える。だから移動するときには便利な車を使い、食事をするときには出来るだけ美味しい物を食べたいと思い、どうせなら出来るだけ健康でありたいと思い、近くのテニスコートまで車を走らせそこで発散してくる。本来健康だけが目的とするならば歩いてテニスコートまで行き、歩いて帰ってくればよいではないか。美容と健康を目的とするならば歩いてプールに行き、歩いて帰ってくれば良いではないか(地理的条件でそれらスポーツ施設が一定の距離内に無いなどの理由は有るだろうが)。

作家吉川英治氏は、晩年「今でも七番アイアンとボールさえあれば富士山に登ってみせる」と言った有名な話がある。この様に「目的を持つ」と言うことの大切さを十分に理解しながら、理想の姿を模索することが必要なのだろう。

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