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100年で考える都市計画

これからの甲府都市圏

甲府都市圏の交通と都市計画

面積171.89平方キロメートル、東西約12.5キロメートル,南北約31.5キロメートル。極東138度40分、国師岳大弛、極西138度31分、山宮町西岬、極南35度35分、大津町南端、極北35度52分、国師岳西1,450m。最高標高金峰山頂2,595m、甲府市役所標高261m、最低標高大津町252.6m。ちょっとなりの悪い糸瓜が横になっているような姿を想像して欲しい、これが地図上の甲府市の姿である。

この甲府市が都市計画上最も激動したのは、なんと言っても第二次世界大戦での「甲府空襲」であろう。歴史上考察したとしても武田氏による館の建設にまつわる本拠地の移動、豊臣氏(後徳川氏が引き継ぐが)による甲府城の建設などによる都市建設以上のインパクトがあった出来事である。そして其処からの戦災復興事業こそ、現在の甲府市街地の形成の第一歩と言ってよい事業であった。その計画については相当の大規模な甲府市の再構築であった事、当時の中央政府より派遣された技師がすばらしい構想を持ち(甲府は丁度東京の奥座敷に当たる、それにふさわしい町を作ってくるよう携えられていたと聞く)人格的にも優れた人であったことが、当時のことに詳しい方から証言されている。知る限りの構想の一端としては現在の甲府駅前線(通称平和通り)の道幅が50m、それと同規模の道路が放射状に後2本甲府駅を起点として作られる予定であったそうだ。しかし残念なことに当時の住民・議会などの猛反対に合い、36mに縮小された平和通りのみが開通する事となり現在に至っている。

「甲府空襲」
『昭和20年7月の甲府空襲は市域の74%を焦土と化し、甲府の古き良き時代の面影は 失われてしまいましたが、終戦直後には戦災復興局が設置され、市民一丸となって、 槌音高く郷土の復興に立ち上がりました。』 甲府市ホームページ、「甲府市の歴史」より

今日までに甲府都市圏としては都市計画道路が55路線あり、その総延長は178,610メートルにも及んでいる。その内計画当初より4車線以上の道路として計画されたものは10路線しかなく、そのうちでも一部は歩道幅が限られた4車線道路であり、当然6車線道路などは交差点などほんの一部でしか存在しない。その上、これら都市計画道路は全て開通したと言うわけでなく、中には決定以来50年の歳月をかけてもまだ100メートル程度しか開通していないと言った道路さえあるのだ。特に甲府旧市街地では平和通りに4車線を見るほかは全て対面通行2車線道路である、しかもその幅は歩道の設置もままならない状態だ。

それら既存の道路と都市計画道路を組み合わせてみても、放射状に周囲に広がる道路と碁盤の目のように市内を走る道路が組み合わされている現状が良く理解できる。つまり一定の升目に対して流入する道路も同様の交通量しか限度がなく(環状道路が2車線で構成されていて、流入道路も同様2車線で構成されている首都高速道路と同じ形)、恒常的に渋滞がおきやすい道路状態が当初から設定されているような物なのである。

このような道路事情下では、わずかに適性交通量を10パーセント程度上回ることで全域に対して渋滞が発生してしまう。実例としては5・10日(ゴトウビと読み、毎月5、10、15、20、25、月末を意味し、企業の支払日や数々の決済ががここに集中する)などには、甲府市役所の駐車場が満車となる事から入車待ちの車が周辺道路で待機する、この事をきっかけに次第に渋滞の輪が広がり、広く甲府市内が渋滞の渦に巻き込まれてしまうことが上げられている。同じように、中心部にある大型店が「友の会」と言うセールを行うときなども、駐車場に入ろうとする車の列が出来るところを起点として市内に渋滞の輪が広がってゆく現象が見られる。

また甲府市中心部の通過車両は地域事情(公共交通機関が少なく、甲府盆地は車がないと生活できないとまで言われている。これは以前の周辺農村部であった地域から市内に至る交通機関が脆弱だった上、集落が集合していなかった経緯からモータリゼイションの波をまともに浴びてしまったことによるのだろう。)を反映してかなりの台数が数えられている、しかし、この交通の要衝を東西に移動するには4車線の甲府バイパス(国道20号線バイパス)と、2車線の山の手通り、そして甲府市中心市街地を通過する旧国道(20号)しかないのが現実だ。この事は、甲府駅発放射状路線に対して、市内から周辺にかけて周回する道路事情の脆弱さ、そして通過する車両に対する配慮の無さ。こういった交通政策上の大前提を見据えることなく進んできてしまったまさに都市計画の無策から起因しているのではなかろうか。

ではここで一体どうすればよいのか。今に至って街路整備のための立ち退きなどを行うと間違いなく人口は減ってしまう、その上費用対効果を勘案したとしてもとても現実的とは思えない。まさにこれは甲府市中心部の交通対策だけではない、甲府都市圏としての交通政策の抜本的見直しを迫られていることになろう。ここにあっては抱える人口(周辺人口を含め、盆地人口60万人の全体を指す)から見ても「地下鉄・モノレール・新規鉄道」は採算上も含め不適である。そのクリーン度や周囲への影響を考えたとしても、多くの専門家が推奨する「路面電車」についてもやはり不適と言わざるを得ない。そのことは現状の道路整備状況からも言い得る事である、となると残された公共交通機関としては唯一「バス」の充実しかないと言い切っても良いのではないか。

続く

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