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100年で考える都市計画

これからの甲府都市圏

6.甲府都市圏の産業

1.商業

広く甲府都市圏の商業と言っても、古来より商業活動はほとんど現状の甲府都市圏にある旧市街地が中心であったと言ってよい。つまり周辺農業地域より、買い物、娯楽などを求めて甲府に行くと言う一つの動作が続いていた。また甲府市街地では、それらを誘発すべく「恵比須講」などのイベントを企画し、多くの周辺農民を集客しようとしていたのである。古くを考察すればこの地域は荘園と寺院を中心とした門前町から成り立っており、甲府市中心には「一連寺」がその勢力を誇っていたと考えられる。周辺の荘園は、北西部には小松荘園、西部には敷島町までの範囲を誇った志摩荘園、現在の石和町を含む西部から南部には稲積荘園が広がっていたとされている。そしてそれぞれの地域でほぼ自給自足の生活を行い、定期的な市には周囲からも人々が訪れたことであろう。

この動きに大きく作用したのが武田氏による古府中への本拠地移動に始まり、豊臣氏による甲府城の造営による近接商業地の開発などであった。この事は、武田氏による神社・寺院の建立が都市計画区域内だけで33にも及び、それらを賑わいの中心とすべく三日市場が1526年、八日市場が1536年に歴史の中に登場してくるのである。そしてその場所は三日市場が元三日町(現在の美咲に有る山角病院の辺り)、八日市場は愛宕町石取り場(現在の英和中高等学校辺り)となっており、そこから相川の扇状地に対して広く都市計画が行われたことが容易に推測できるのである。

全国的にはこの頃から徐々に農業と商工業の分離が進み始めているのだが、この甲府地域においてはおそらくいまだ成熟の兆しは見られず、市の立つ日にはそこに品物を並べこそすれ、それ以外は自分の農地に戻り、細々と生計を立てていたのではないか。まだまだ貨幣経済が浸透するには時期尚早であったと思われる、つまり武田家の支配の下に領民が集積するような街づくりには、未だちから及ばずと言ったところではなかったろうか。現在の地図を見ると理解しやすいのだが、この当時は中央線以北しか甲府市部は開けておらず、南部については見渡す限り小集落と水田が広がっていたであろう。治水対策もおそらく荒川の氾濫に対して相川で防ぐ、また釜無川の氾濫に対しては荒川で防ぐと言った対策しか見出せなかったに違いない。これらの事実の解消には、強大な力を持った武将の出現(信玄)と、農家の収量増加、そしてその余剰産物の交易と貨幣経済の発展などなど、様々な要因が重なり合ってこそ実現できた物に違いない。いずれこの時代を境に現在の甲府市中心部における商業の集積が始まる事となるのである。

その様な中、江戸時代中期ごろには甲府市内には一定以上の規模の豪商が姿を見せ始め、彼らの力によって商人文化も著しく発展してゆくこととなる。その頃には江戸で一定の評価を得た歌舞伎役者が、甲府での興行の後江戸で給金が上がると言う仕組みが出来上がり、そこからは甲府の観客の見識の高さが想像できると言う物である。但し残念なことには江戸時代から甲府は幕府直轄であったため、土地に根付く「菓子」が発達せずに来てしまったこと。この事は現代においても土産品の存在感が歴史に裏づけされていないと言う点で現れている、と同時に「甲州人の着道楽」と言われるような、兎角外見の派手さに表される気質がこの様にして出来上がって行ったのであろうか。

そして現在に至るまで、甲府中心部では「連雀繊維街・魚町食品問屋街」などが一定の規模で発展していたのだが、魚町の食品市場については昭和48年(1973年)、現国母地内に、繊維街にあっては昭和52年(1978年)「流通センター」と言うことで田富町にそれぞれその機能を移転した。実際それ以前の甲府の主なる商業形態は、他県からの商品仕入れの後2次・3次問屋的機能の卸売りが中心であり、これは甲府都市圏が持つ周辺の農村地帯からの買出しなどの実質商業形態がもたらしたものである。また丁度この頃は昭和30年代から続いた戦後の復興景気のあおりを受けた慢性的労働力不足が起きており(昭和35年(1960年)の中卒者の初任給は山梨県4880円であったが、東京都は6510円、ちなみに全国平均は5750円であった。ゆえに、甲府都市圏での就職よりも条件の有利な東京に出て働くことがこの時代の特に次男・三男では当たり前であった)、甲府都市圏の産業基盤に重大な影を落としていたことも事実である。またすべからくこの当時の商業形態は、就業者人口比率の上からも、甲府市が商業都市的な色合いが濃く反映されていることが見て取れる。その上に残念ながらその企業規模においては、全国平均の5〜6割程度の大きさしかなく、そのことから寮・社宅などを含む従業員に対する各種福利厚生策の点でも遅れを取っていたのが実態である。

甲府市の中心部から繊維問屋街・食品問屋街を始めとするこの地域の基幹というべき商業基盤が流出して行った後、甲府都市圏においての中心市街地から人口流出して行くのは自明の理である。すでに昭和42年(1967年)に発行された甲府市役所企画部における資料には「中心部よりの人口スプロール化が進んでいる」という記載が見られるのだが、この事に対して前出商業基盤の中心が流出してゆくときには、その対策が何も立てられていなかった現実がここにある。(旧魚町・連雀・旧青果市場跡などは現在駐車場になってしまっている部分が圧倒的である。その中でも連雀一帯は特に過疎化が進行し、「甲府で一番痴漢が出る場所」などとまで言われている。その様子については4E地区の再開発で出来たワシントンホテル最上階の窓から特に夕刻になり眺めてみると良く理解できる。)また現在においても商業としての立地条件からは非常に厳しい現実が待っている。周辺人口の減少と商業形態の変化から、個人商店は恐るべき勢いでその姿を消して行っている。いわゆるコンビニエンスストアの多店舗化は、街にあるべき商業形態を一変させている。家庭での「冷蔵庫の大型化」・夫婦による共労化では、生鮮3品といわれている食料品の購入形態を一変させ、アメリカ型のまとめ買い志向に向かわせることとなった。この事が街の中から生鮮食料品を扱う個人商店を消滅させる動きに拍車をかけ、買い物弱者(買い物をするにあたり高齢者だけの家族では、車の使用が難しい場合などは歩いて買い物をすることが非常に困難になってしまった。一人暮らしの場合には、まとめ買いをするにしても余分な物まで購入しなければならず、それが結果的には廃棄物を増加させるといったことにつながっている場合もある)に対して、この中心市街地が実に暮らしにくい場所になってきつつあるのだ。そしてその事が追い討ちのごとく中心市街地から人口の流出に拍車をかけることとなっている。

それでは一体これからの甲府都市圏の商業に未来はあるのか。
中心市街地に対してのこの事についての問題提起は、小生著「2000年発未来の甲府PART-1」にすでに述べている。つまり一様に何処の地域でも同じ商品を販売していたのでは集客は出来ないのであり、例えば核店舗として一定の大型店が進出してきたとしても其処での面としての賑わいの創設は出来得ない。ここでの商業立地に対しては、すでに言うまでもなく各商店間の差別化が必要であり、其処での販売品目の特質化が必要なのである。この事はあくまで一般消費者を対象とする小売店に対して述べている部分が強調されているが、実際は卸売業に対しても同様のことが言えてくるのである。「その店ではこの事に関する商品が全て揃っている」と言わしめるような商品構成、あるいは「全てが自分たちで作っている商品です」と言って販売しているチャレンジショップ、これらの直近での成功事例が如実に物語っているではないか。近隣で生活する人々の要求を満たしながら、全国制覇を遂げてしまったコンビニエンスストアを見たとしても、其処での戦略がどの様な物であるのか十分納得してみていただける事例ではないか。一時期「居商い」から「出商い」に打って出て大成功を収めた事例があった。これはウォンツ欲求の事。消費者が今何を欲しがっているのかと言う事)をもっている顧客に対してニーズ必需。これをもって要求を満たせる物の事)を届ける事で商売につなげたのである、今まさに新しい出商いが必要なときなのだ。

改めて中心商店街の現在をよく見てみよう、そこでは商工会議所などが盛んに消費者アンケートを取り、分析した結果を多く報告している。しかし、その結果に基づき業態の変更や商店の改装などが行われてきているだろうか。あたかも他人事のような感覚でそれらの調査結果を見ているのではないか。この事については何度も繰り返すようだが、その中には必ず駐車場の問題がある。広くて無料の駐車場がない、だから中心部への買い物はいやだと言う。ここにこそ問題の原点があるのだが、これに気がついている人が何人いるだろうか。勿論報告する側にも、そして受け取る側にもである。現在の中心商店街でも2時間無料券という物を発行している商店がほとんどだろう、一定の金額を買い物してくれたらサービスしますという物であるが、これによる効果を郊外型ショッピングセンターは最初から織り込んでいるのである。自身体験してみるのが一番良いと思うが、この「2時間」の買い物時間というのはどの程度の時間か、ということなのである。つまり、郊外型の店舗で買い物をしたとしても2時間以上買い物をするという人の割合はさほど多くない。むしろ中心商店街で2時間以上買い物をする人の割合のほうが圧倒的に多い、だから中心商店街に無料駐車場がほしいということなのではないだろうか。ここでは「買いまわり」という消費行動が発生してくるのである、一定の商店を回りある程度の商品を見定めそして購入する。ショッピングというのは購入の楽しみと同時に「見て回ること」の楽しみがあるのだ。だから商店が数多く集積している場所に行きたくなるのだ。その上で尚駐車場に対して不満が出るのは、直接商店に対して不満を言ってもしょうがない、だからやんわり行きたくないよと言うには「駐車場がないから」といって断るのが一番と言う事なのだが、ここでも重大な誤解をしてしまっているのが受け側であることにいまだ気がついていない。これでは消費者のウォンツを満足させることなどとても出来ないといってよい。

つまり逆説的に結論を述べるなら、甲府中心部の商店街は、現状認識を改め多角的な努力をすることでまだまだ消費者にニーズを届けることは十分できるということなのだ。
改めて確認の意味で小生の発行した冊子の中から、この中心市街地における商業についての部分をここに記しておく。(当初冊子の原文では第6章として記述したが、WWWページでは、http://www.nonaka12.com/machi/part1/index.html#CH6 に転載している

6−1−1.商店街の持つ基本的な意義

商店街とは、そこに集まる不特定多数の人々によって要求される施設が自然発生的に集まり、集約する事でそれぞれの持つ集客力が倍増し、コンパクトにまとまる事での利便性がまたそこに人々を集合させるといった、あくまで自然発生・自然拡大をもとに誕生してくるものと、現在のように当初の段階から数々の種類のインショップを集合させ、また核となる集客力の大きい施設を配置する事で個々のインショップの業績を向上させるタイプのものと、大きく分けて2つがある。
当甲府市の場合は前者のごとくすでに自然発生している市街地に対して、今後どのような方向性を見つけ出すのかという事が火急の課題となっている。この場合はいったい「これからどうするの」であり「どうなるの」ではない事を再認識する必要があり、基本的な一店あたりの集客力の強化が、商店街の集客力の強化につながるという原点をもう一度全体で検討してみる必要がある。

6−1−2.反省と推進

一方で、減少してしまった中心部の人口増加を優先して考え、前出「ミニドーナツ」(大規模住宅とミニスーパーなどの合体型居住施設)化された区画の創出や、優良住宅の供給などを積極的に推進し、一刻も早い人口増加を図る事、「歩いて買い物をする楽しさ」を演出するため、モール化された商店街に休息のための場所を作る事、閉店時間の延長を図る事など、現在の多くの消費世代を考えた工夫が大切であり、そのためのデータ収集・解析に積極的に費用を投下し、すべてが前向きになっているという姿勢を消費者に示して行く事が必要なのではないか。よいものが・よりよい空間で・楽しくあるというような商店街でなければ消費者は決して集まってこないという事を十分認識し、なおかつ現代における消費のリーダー分析や、意欲をそそるような演出といった商品に直接関わってこないいわゆる研究に対しても、自己責任において解消して行く積極性が無ければ、いかなる行政の手法も徒労に終わってしまうだろう。

6−1−3.テーマを持った店作り

これからの小売り業態は、明確なテーマが要求されている。現代における消費の特徴は、若者については未来というものの捉え方が変わり、「常に未来は明るいもの」といった事はなく、過去も未来も一つの延長線上のものでしかなく、その中で自分に一番合っているものは何だろうと考え、そのものが古いものであっても価値を十分に見出す事ができ、決して新しいものだけがすべてではないという、今までに無い発想が充満しつつある。また高齢者購買層は、常にこれからおとずれる今以上の衰えについて、自身の不安から情報を欲しがり、「誰かがやっているなら私も」といった集団に身を置く安堵感を根底に抱えながらも、今までとは違う自分の発見に興味津々でいる、といった価値観を持ちつつある。また団塊の世代といわれる人々は、むしろ今の若者より柔軟性があり、成長期に謳歌した自由を常に心のどこかで楽しみたいといった姿勢が見えているのではないか。

以上のようなそれぞれの世代にあったテーマとコンセプトをしっかりと自身の販売商品に取り込んで、それぞれの消費者に対してアピールしている事が自信を持って明言できているであろうか、以上のような消費動向についても、全国的な分析でありすべてが甲府という商圏に当てはまるかについては若干疑問も残るが、何も無い手探りの段階よりはるかに明快な筋が見えてくるのではなかろうか。
常に研究であり、常に勉強であるべきだ。消費者による「買いまわり」は、目標があるのではなく、目的があるから足を運ぶのである。それらを踏まえた上で、現代の「車頼み」の時代において、駐車場とその効果的な利用について集まってくる人々はどのように考えているのか、どのように車社会に暮らす人々に利用していただくかを再検討するべきだ。

この様に以前の冊子には記載をしている、改めてこの部分を是非ご理解願う事として、この商業編を区切りとする。

続く

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