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100年で考える都市計画

これからの甲府都市圏

6.甲府都市圏の産業

2.工業

甲府都市圏における工業の発展は、明治時代になってからと考えるのが良い。そこでは繭の集積地から製糸業へと繋がる日本の軽工業の動きと連動した物がある、そして電動モーターの使用を念頭に置いた芦川発電所(日本初の水力発電所から遅れることたった9年、日本初の発電所が東京に出来てから13年後のことである)からの電力の供給がこの動きに拍車をかけてゆくこととなるのである。
明治16年(1883) 東京電灯会社の設立許可が下りた。この会社が建設を行った発電所がわが国最初の事業用発電所・・・明治20年11月21日落成
明治24年(1891) 京都・蹴上に初の営業用水力発電所が完成した。
明治33年(1900) 5月に芦川発電所送電開始

現在の地場産業の基幹としての水晶研磨細工についてはすでに古墳時代からの使用が認められているが、これらについても産業として成立するのは江戸時代後期であり、この記載は後に譲ることとする。

協同組合山梨県ジュエリー協会 「山梨宝飾産業」参照
山梨大学水晶館 「山梨の水晶加工史」参照

ご多分に漏れず戦後においてはアメリカデュポン社のナイロンの発明で、この絹糸を作ると言う国家的産業は衰退してしまうこととなるのだが、そこから現在の工業に繋がる発展と言う部分については、お隣長野県諏訪湖畔の工業発展とは全く違う道をたどることとなっている。諏訪盆地における製糸業の次にやってきた物はその豊富な労働力を生かし、なおかつ繊細な手先を生かすことが出来る精密機械工業であった。精工舎がオルゴールと時計の生産を始めると、周辺の工場においてもその下請け加工に加わるといった一大生産拠点が出来上がっていったのだ。しかし甲府都市圏においては製糸の動きは、次にはメリヤス加工というやはり軽工業が取って代わっただけの工業でしか成立し得なかった。この事に関する解明については「山梨県史・甲府市史」などを詳しく読むことでその背景が明かされることとなるであろう。

とにかく甲府において誕生した工業については内陸がゆえに軽工業が中心であり、生活関連工業(衣類製造・寝具製造の繊維工業など、及び食品加工、一部加工部品等を示す)その他の種類といっても全国的なシェアを持つに至っている物は「古来からの産物を加工することから始まった水晶研磨、宝飾品加工」を除くとほとんど無いといってよいであろう(この中からは後に水晶発振子加工業も出てはいるが、その工場については数が多く実態については確認できない)。これらは前出商業と比べてもその出荷金額は全国レベルから見ても非常に少なく、この事から安定した雇用の確保を目指して地域指定(低開発地域工場誘致促進法、別名低工法)を行い、工場誘致に走ることとなってゆくのである。甲府都市圏ではこれを受けて国母工業団地現在でもパイオニア電子、松下電器産業、富士通エレクトロニクス、横河電気、ミネベア音響などが操業している)を造成し、内陸型の工場を誘致し労働力の県内定住を図ることとなってゆくのである。

これは人口の定着にも影響し、甲府都市圏の一定の繁栄の礎となるのだが、これら進出工場との労働条件の差は歴然としており、甲府都市圏における若年労働力不足に対しては返ってマイナスの効果ももたらす結果となってしまったのである(従来からの地場の企業に若年労働者が集まりにくくなり、またその給与などの報酬も上昇してしまったことから競争力のない地場の産業にとっては大きな一時的負担が増えてしまった)。

ともあれ一定の速度で増加する地域人口に対して就労の場を与えると言う大義名分、税収の安定という点では工場誘致というのが一番手を付け易かったのではないかと思われる。一方現在においては、単なる生産工場は中国を始めとする東南アジア諸国など、人件費の安価な地域を求めて世界中をさまよっている。ここに向かって進んでゆく工場は主に内陸にある労働集約型工場が中心となり、恐るべき勢いで日本の生産現場を直撃しつつあることから、当然甲府都市圏の工場についてもこの波をまともに受けている物と見られる。ではこれからのこの地域の工業はどのような形態を模索する必要があるのか。

どうやら今後の主役は「産学連携」「独自技術」と言う言葉にありそうである。この動きは世界中で今まさに起きている現象であり、日本国内においてもそれは札幌と北海道大学のバイオ産業、徳島と徳島大学との光素子。その他では大阪にある「ナニワ企業団地」をたとえとする金属加工を中心とした共同受注や、山口市の地元企業による環境ビジネスへの進出などにその独自性を見ることが出来る。そうして集積してゆく技術と企業には当然優秀な労働力が集積する事となり、そのことから新たなる需要が掘り起こされていくのである。どうやらこれからの甲府都市圏の工業についても、山梨大学というキーワードをいかに活用するかと言うところで一線の光明が見えてくるような気がするのだが。

せっかくの先人たちが築き上げた「先取気鋭」と言う心意気を、ここで放棄してしまうことだけはなんとしても避けなければならない。

続く

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