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100年で考える都市計画

これからの都市の姿

他都市を参考に再生への道を探る
大和郡山市を事例として

大和郡山市

大和郡山市
大和郡山市役所

 奈良県大和郡山市は甲府市と姉妹提携都市の関係にあり、奈良市、斑鳩町などと隣接し、その広さは42.68平方キロメートルでほぼ平坦な地形をしている内陸都市だ。なんと言っても第2次世界大戦の折空襲にあっていない事から、市街地の道路幅が実に狭いと言うのが第一印象であろう。歴史的な背景については縄文時代の遺跡が発掘されているなど、一帯はさすがに日本の古代史に影響を残す地域であると言う事が良くわかる。ここでは歴史を語る部分は一部にしておく事とするが、なぜ甲府市と姉妹提携をする事となったのかと言う事だけ少し触れておきたい。

1724年(享保9年)、甲府城主であった柳澤吉里が甲府から郡山城主に封じられている(15万石余の石高であったとされている)。柳澤吉里が郡山城に入った時、経済を振興するため、養蚕を持ち込み奨励し、また、趣味で飼っていた金魚も運んだことから、明治以降金魚の養殖が盛んになり、現在日本で最大の産地となったとの事であるが、このことに対しては諸説あるようだ。

柳澤吉里が甲府城主であった時代は、近世甲府城下に発展と繁栄をもたらした時代といわれ、柳沢吉里の大和郡山転封の際は、領民は年貢を完納し、旧城主を見送る領民があとを絶たず、家臣とその家族を含め5,286人が移住したとされているが、これも幕府による諸藩の力を殺ぎ落とす手段であったと言う説もあるようだ。

柳沢家は、明治維新まで大和郡山藩政を執事し、現在でも甲斐から移り住んだ多くの子孫が残っているため、甲府を故郷と思う市民も多いと言うことから、平成4年の姉妹都市締結となっている。この転府に付いて「金魚番」と言う武士が、甲府からひたすら桶を担いで金魚を連れて来たという、話としては非常に面白い部分である。その後これらの発展には養殖に適した自然環境があったことが一番の大きな事実ではないか。

古くから水田農業が盛んで比較的海抜の低い奈良盆地のこのあたりは農耕用溜池が周辺に豊富に存在していたことや、溜池に自然発生するミジンコ類が金魚の稚魚養成に欠かすことのできないものであったこと等であろう。大量生産された金魚は主に和金、琉金、出目金でいわゆる大衆魚とされているが、当然高級種も生産されていると聞いている。現在祭りなどで見かける「金魚すくい」用の金魚はほとんどここが産地とされているようであり、8千万匹ほどが年間養殖されていると言う。大和郡山市では「金魚が泳ぐ城下町」を市のサブタイトルとして使っている事から、この金魚に対する市民の愛着もひとしおなのだろう。これも町づくりの一つの手段として使って行きたいものだ。

都市基盤を整備する

大和郡山市
市内を流れる紺屋川

さて、市内の中心部と言っても良い市役所の前から流れ出る「紺屋川」沿いは、おそらくもっともよき時代のこの町の風情を充分に残していると言っても過言ではない。当然その名のとおりこの川の水を使って染色を行った事からついた紺屋川と言う名も、市役所前の池の水だけ捉えてみると、到底染色に使ったとは考えにくい緑濁した、いわゆるため池の水となってしまっている。市としてもずいぶんとこの水質には頭を痛めているようだが、おそらくこの池に流れ込む前の段階で、城内の堀からの流水であればこれはもとを断つ事が大切であり、郡山城祉の堀の水を先ず動かす事からはじめる必要がある(堀の水を動かすと言う事は、攪拌装置を堀に取り付け、特に一定以下の水深部分に酸素を送り込む事を示す)。

次に、この池まで導水している部分の最終段に炭を入れた蛇籠(土手の補強などで使われる金網で包んだ石の籠)をその流れの底に敷き詰めるようにする事で、かなりのこの水の濁りを除去する事が出来るのではないだろうか。もしここで普通の木炭ではなく、竹炭であればなおさらその効果が期待できるであろう、幸いこの大和郡山市は周囲に神社仏閣を抱えているので、場合によっては竹林もあるのではないか。

しかし溜池に自然発生するミジンコ類が金魚の稚魚養成に欠かすことのできないものとするならば、ある程度は透明度が無いとしてもそれを理解させる解説があればそれでも良いのではないのか。大切なのはそこで泳ぐ金魚がいることがねらいなのだから。

次にこの池から流れ出ている紺屋川があまりにも深すぎることである。聞くところによると、かつてはずいぶんとこの川による浸水被害があったとの事であるが、都市下水の発達とその他の防災という観点からずいぶんと改良されて、現在に至っては出水という心配は無用であるという。ならば次にはこの川を使って「親水」という新たな町づくりの方向性を見出す事は出来ないだろうか。つまり現在の紺屋川の底を思い切って上げてしまい、川岸に座り込むだけでその水に触れる事が出来るような流れを作り出す事で、ずいぶんと人々の暮らしに安らぎを与えてくれる流れへと変える事が出来るに違いない。夏ともなれば、いつでも金魚がすくえるようなそんな川面を眺めながら、縁台で涼を取る事が出来るといった風情がこの町にはぴったりだろう。

大和郡山市
車と対比してわかるがこのように実に狭い

以上のように紺屋川の流れを変えたあとは、現状の道路と側溝の改修をする事をお勧めしたい。現在の道路幅についてはこれを変更する事は不可能に近いものがあるだろう、ならば道路幅についてはこのままでも充分なのではないか。むしろ現在の道路幅のまま人々が快適に暮らせる町づくりを目指したほうが、理解も得やすいのではないか。そのためには「道路は見せるもの」という感覚で、路盤の整備を行っては如何だろうか。

そもそもこの町の歴史に盛んに登場してくるのが「有能な武士と団結力の強い商人」である。おそらく彼らの時代でこのような町並みを作り上げた折に、周辺の国宝となっているわが国有数の古刹との取引などを考えると、ここには石畳が敷かれていたのではないかと推察できる。これを現代風にアレンジしたのが「長野県松本市」に見られる道路境としての両側を御影石で敷き、中部分を透水性のアスファルトで仕上げた道路である。

松本市参考写真
参考写真−松本市中町における道路

しかし、この町ではこれをもう一歩前に進め、夏の照り返しを少なくするということで「保水性アスファルト」(花博で使われたのが有名で内部に保水材を練りこんであり、そこからの撥水効果により路面そのものの温度を下げる事が出来、暑い奈良盆地の中にあっても快適な空間を演出できるのではないだろうか)と路肩の御影石で化粧した雨水渠(これもこの道の両側にはいらない、どちらか片方を雨水渠として使用し、残った片方には常時紺屋川の水を引いて金魚が泳ぐ風情を作り出したらいかがだろうか、鯉などを泳がせるには相当な幅が必要だが、金魚は小さいのだ)及び現在のグレーチングを撤去し、自転車や車椅子のタイヤでも挟まらないような溝蓋に変える事によって視覚的にも実用的にも幅は現在より広く取れる事となるであろう。

 

建物を整備する

大和郡山市
戸板の桟敷があるお菓子屋

7年前、私が一番最初に訪れたときに、うれしくなってしまった建物のつくりが一軒のお菓子屋のつくりであった。外の雨戸が中間ほどから半分は下におろされ、それが軒先の縁台として買い物客が腰をおろしてお茶を飲んで休憩できるようになっている。残りの上半分は軒下に跳ね上げられ、通りがかる客の視線から完全に消え去ると言う仕組みになっているのである。簡単に100年と言う歳月が感じられ、それを大切に伝承しながら使いつづけると言う心意気が、この店のお菓子を一層おいしいものと感じてしまった私であったのだ。しかもそれから7年と言う歳月が流れて二たび訪れたときも、全くそのままであり何も変っていないという。この店の歴史から見ればたった7年なのかもしれない、そんな気持ちにさせていただいたのがこのお菓子屋であった。

 
大和郡山市
軒のある商店

この町の特徴を一言で言い表すと「軒がある」と言う事であろう。この「のき」と言うのは昔から商売屋の家並みを表現する手段としてよく使われてきていたものではないか、つまりこの大和郡山と言う都市の過去からの出で立ちを表現するのにこれほど言い表して妙なる物はなかろう。商いをする場合、この軒下と言うのが実に都合がよい場所である。そして軒として突き出た部分の上に、その家の屋号や扱い品目がかかれていれば立派な看板であり、それは宣伝効果以上に合理的なものである。ここの町並みにもその様なものが随所に見られたのはうれしい限りである。

 
大和郡山市
格子で囲まれた店先

次に、この町を代表するのが「格子」であろう。これについても町並みにしっとりとした情緒を漂わせるのにこれほど適したものはなく、しかも道路が狭いと言うのがこの格子の役割を一層美的に引き立てている。県・市によるこのような町並みの保存についての助成は確認していないが、通常だとこのような美しい町並みの保存に対しては、例えば家の改築についてファサード(建物正面の化粧などに良くこの言葉を使うが)を軒を表現したり、格子をつけると言う住民の行為に対して、一定の範囲での助成を行うなどの支援策を講じる事で、これら町並みの統一感は達成できるものと思われる。

 

しかし、ここでも最も重要なのは「ここに住む人々」の考え方であり、それら人々の力によってこのような町並みは守られるのである。おそらく町がかもし出す歴史と言うのは、このような積み重ねが長く続く事によって自然とそれは重厚なものになってゆくのだろう。何も京都を模倣する必要はない、ここは大和郡山市なのだから。

交通を考える

大和郡山市
駐車場の確保も大変だ

ここまでインフラや建物について私の個人的な意見を述べてきたが、それにしても実にこの町の道は狭い。一部では建築基準法第42条に抵触するような場面も出てこようが、それは日本全国一律な法律で物事を判断しようとしているものであるがゆえに、この町内ではそれは適さない。場合によってはこの町内に限って一気に「特区」と言う網をかけてしまうことも出来るのだから、住民が基本的に合意すればもっと暮らしやすい環境整備は出来るに違いない。

極論だが、いっそのことこの町内に限っては「車の通行を制限する」のが良いのではないか。この町の中の数軒については、駐車場を自宅入り口の一等地に確保して自動車を鎮座させているのも見受けたがこれは土地利用から見てももったいない、いずれ一方通行で使っている道であり、思い切って車を町内から外部に出してしまうという事も十分考えられるのではないか。そうしておいて、郊外(およそ2キロメートルで充分可能な農地が点在している)に十二分な駐車場を作り、町内の方の自動車を保管すると同時に、観光客などの駐車スペースも確保する。そしてその駐車場から小型のバスを走らせ、町内を循環させる事で日常の交通手段の確保を図る。このような一連の流れを基本に考えては如何なものだろうか。

大和郡山市
軽自動車が通るだけで一杯

当然特例としての町内居住者の自動車通行や、商店への荷物の出し入れについては届出制度を確立して、パスなどを確認しやすい場所に貼り付けることは言うまでもない。そして大切な事はここでの循環バスは、「小さければ小さいほどよく、環境配慮型の車両の使用と乗降が簡単に出来る形の車両を用意する」と言う事を原則として考えては如何なものだろうか。例えばであるが、ゴルフ場で使用している電動カートのイスが中心から背向い型になっていると言ったような形でも良いのではないか。あるいはバス型でも、低床車両であって車椅子であってもそのまま乗り込めるといった工夫がなされているような形であるとか、ここでの創意工夫がこのバスの生命であると言っても良かろう。決して大勢が一度に乗れるということを考えず、むしろバス停などなく、手を上げれば何処でも止まってくれる数台が一日中この町内を金魚池のミズスマシのようにくるくると回っている様子を想像して頂きたい。そしてこの料金は原則1回100円と言う事もしっかり守る必要があり、無料と言うのは決してよい事ではない。

自由に移動すると言う基本的人権の保障という観点からも、このような自らに制約をかけた行為に対してはしっかりとした助成を附加すると言う取り組みからすれば、継続的にかかるこの循環バスの営業費に対して行政としての補助金支出は、立派な理由が成り立つだろう。そうしてこの地域の再生を図れば、殺風景な空き地もきっと何かに再利用されてくるに違いない。このような市街地はすでに先人達によって都市インフラがしっかりと行き届いているのだから、ここの再活用を考えずして郊外への投資等は実にもったいない話となってしまうではないか。

 

空閑地の利用

大和郡山市
大和郡山市

すでにこの町内にも数箇所の空閑地が出来てしまっている事は誠に残念な事である。しかし、これを逆手に取り幸いな事と考えて土地利用を図る事でこの町に潤いを与える事は出来ないものなのか、せっかくの町内の空き地であるのだから、ここは町内に暮らす人々のオアシスとして再利用出来ないものなのか。

一昨年の事であるが、甲府市内にもこのような空閑地があれば、行政として買い上げるなどの手法で「ポケットパーク」の建設を推進しては如何か、と言う議会質問をした経緯があった。結果、一箇所だけだが底地の地主さんと話し合いがつき、固定資産税を減免する代わりにこの場所へポケットパークを設置し、街なかへの緑の導入を行った経緯がある。

この町内にも実際入って散策してみると、「休めるところ」がなかなかないのである。そこで、甲府市と同様の手法を使って、町内の数ヶ所ある空閑地を緑豊な空閑地とする事は出来ないものだろうか。但し、甲府市のようにおざなりのプランターなどを使ったものではなく、地主さんの了解が得られるならば直接地面に木を植えるのが良い。止む無くプランターなどを使うのであれば、大型のウイスキー樽を半分に切ったようなプランターが良く、ここでは自然素材のものを使う事をお勧めしたい。同時に、この中の木を取り囲むように円形ベンチを設置すれば、これはもう完璧である。きっと市民の憩いの場所として使われる事となるであろうし、休祭日などはこの場所を使って近郊農家の協力を戴く中で青空市を行えば、これはもう地産地消の推薦事例となるであろう。

また、このような場所での新鮮な食材の提供を、周辺の遊休農地を使って高齢者などが事業として取り組む事が出来れば、生涯雇用と言う新しい観点からの事業としても成り立つのではないだろうか。ここでは「ソイルセラピー」と言う土に親しんで数々の障害を克服する事や、運動能力の低下を防止すると言った医学的な療法もあるという事を添えておきたい。

まだまだ実際には諸課題は山積しているものと推察するのだが、わずかな時間しか費やす事が出来なかった中での提言としてはこの程度しか言い表す事が出来ないのが残念である。

しかし、この大和郡山と言う場所は、無限の可能性を秘めている町であることは事実である。なんと言っても「歴史がある」と言う事は、造り様のない事実なのだ。

 

実に言いたい放題を書き綴ったのだが、今回、案内していただいた大和郡山市役所の職員の方は、小生のこのような実に無礼な話にも穏やかに耳を傾けてくれていた。本来であれば、余計なお世話だと言われてもいたし方無いのだが、日本の都市の今後のあり方を考えると言う小生のテーマゆえの戯言と、御容赦いただければ幸いである。

平成18年4月10日 文責 野中 一二

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