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市町村合併その後

2004年10月20日に小生が書いた「いよいよ大詰めの市町村合併」と言うレポートがある。その中で2006年には31市町村となると書いておいたのだが、その後現在(2006年5月1日)では29市町村と減少し、すでに半分以下の自治体となっているのが本県の実状である。

過日「県下市町村長議長会」という山梨県が主催する催しがあり、小生が議長代理で出席する事となった。その会議の席で山本知事が「今までは2回に分けて行っていたこの会も、一度で済むようになった」と、この合併の効果を端的に表していた。しかもその後に行われた懇親会の席では、「中北」という立て札があるところが私、つまり甲府市の席であったのだ(4月1日より地域振興局を廃止し従来の峡中振興局と峡北振興局が一緒になり、中北地域県民センターとなっていたのを失念していた)

それもそうだ、すでに旧北巨摩地区では北杜市と韮崎市だけとなり、県が関与するのは保健所などほんのわずかな業務しかないのだ。同時に峡中地域は町として存続するのは昭和町だけとなり、後は甲府市、甲斐市、中央市であり、県が行う業務については北巨摩同様なのだから。しかしその他の地域については以前と同様4地域の振興局が地域県民センターとなっているだけであった。しかも中北地域県民センターとして整理統合されたとしているのだが、その内容は北巨摩・峡中地区農業改良普及センターが廃止されるに留まり、従来通りの組織が名称を変えて存続しているのが実態である。

住民にとっての基礎的自治体である市町村が、今回の合併を機に半分以下になったというのに、国とそれら基礎的自治体の間にある卸売業的「県」はその形を変える事ができずに、あたかも道州制の誕生と同時に絶滅すると言う運命を知っている巨大生物のごとく、その歩みを続けてゆくのだろうか。そして県はその指導力により、「山梨県を7つの地域に分け、それらを市として第2段の合併を推進する」としている。これは「山梨県市町村合併推進審議会」という審議会からの答申を受けたものなのだが、その委員は行政学・地方財政論を専門とする大学教授及び経営情報学部教授、国際金融論を専門とする教授と言う3名の大学教授。そして山梨県信用保証協会長、市議会・町村議会の代表者、市長、町村長、そして市民代表2名となっている。これでは当然の結論とも言うべく人口減少・少子化に伴う税収の減少が小規模町村に及ぼす影響は誠に大であると締めくくっている。

つまり行財政基盤は税収によると言う側面からの一方的な理論武装となってしまっているのではないだろうか。特に現在合併を行っていない町村に対して数の論理だけから合併を推進せよというのは、若干の問題を残していると考えるようになったのが、今回の「平成の合併」を議員として経験してきた小生の感じである。

確かに都市部に居住しているとそこに配備されている数々のインフラの恩恵が特別なものとして感じる事は少ない、しかしひとたび規模の小さい町村に入ったときには、「なぜここに無いのか」といった素朴な疑問が感じられる事もしばしばである。経済活動としての商工業に対して、何かしらの規制をする事は出来ない相談なのだが、その様な小規模な町村や集落でも住民の表情が一様に曇っていると言う話は聞いた事が無い。むしろそこに住むことが誇りであると言った充実感を感じさせる表情のほうが多く感じるのは、一体何がそうさせているのだろうか。過日、東北の豪雪地帯での事であったが、「集落ごと移住」という話を聞いた事がある。結果、そこの住民はこの話を拒絶したそうだ。高齢者ばかりの集落であるが、どうしてもここが良いと言う。それらの集落を抱える自治体も小規模な自治体であり、とても経費を捻出できる状態ではないと言うので、この集落移住と言う最終的な話が持ち上がったとの事である。生まれながらにしてその地域に育った人々は、人生の終焉をその地で迎えたいと言う。一体これの何処が悪い事なのだろうか。

但し小生の感じるところ、それら小規模自治体で他の大規模な自治体が行っているような全国平均的サービスを受けられる事は今後期待しないといった強い意志が必要なのだろう。当然これはそれらの基礎的自治体のみならず、都道府県においても同様なのだが、小さな政府で大きなサービスと言う言葉は通用しなくなっているのだ。しかしそれらはすべからく行政という名のもとに行われている一般的な福利施策(決して福祉ではなく、福利である)であり、それが為に生活が楽しくなったり苦しくなったりするものではない。本来的な生活に対する楽しさや苦しさは、感じるところが千差万別であり、決して一定の尺度の元に測れるものではないと言うことをあらためて認識するに至っては、これこそ個人の選択意志のもとにあるのではないか。例えば、大都会から敢えて過疎化した山村に移り住み、自然と共に暮らす事。あるいは、生れた場所を離れ、都会の利便性を求め移り住む事。これらそれぞれに一理あり、決して他人が決める事ではないと言えるのだが。

今回の合併に対して、以上のような本質的な「人の暮らし」という観点からその基本的な議論が行われてきただろうか、どうもそうではないような気がしてならない。むしろ、地域間の諸問題に対して財政的な側面からの議論に終始してしまったような気がしてならないのだが。そしてそれ以上に大きな弊害となったのは、首長の処遇と議員の処遇ではなかっただろうか。

全国的な問題として、合併特例措置を使って議員の定員を増員して合併し、その後市民団体などからの痛烈な批判に対して、その任期を減少させてはじめての選挙と言う事態に持ち込まれた市町村が目に付いた。当初定数特例を使って議員の数を減少させる事無く合併を成立させた地域の議員は、その殆どが「新市に対して地域の意見を反映させる」と言う美辞麗句を使っていたと思える。どうやらそこにはアカウンタビリティー無しに旧態然とした上意下達の説明が住民に対してあっただけで、決して合併の本質を捉えた上での状況説明ではなかったようだ。よって反対と言う事を唱えた人々は、合併により地域の学校がなくなってしまうとか、サービスが受けられなくなってしまうなどと言った現状有り得ないような反対のための反対意見が住民達に広がってしまった部分も見られたのだ。

ここに隠されているのが自治体の議員のあり方であり、「おらが地域の議員」という実に単純な仕組みによって議席を得てきた人々によって、従来の地方議会が運営されてきていたのかもしれない。その結果として一番経費削減につながってきたのが、首長と議員の削減と言う、私が当初から問題としていた部分であったのが皮肉のように聞こえてきた。ちなみに、前出「県下市町村長議長会」の会場となった場所では、黒塗りの公用車が正面を埋めていたが、その台数は半分以下であり以前のような異様さはなかったと言う話である。詳細(実質議員数)については細かく調べたわけではないが、以前は県内に議員という名のついた方々が1,050人ほどであったと記憶しているが、今では半分以下になったのではないか。職員数はそれほど変化していないと言う事だが、この議員数による変化は実にすばらしい費用削減効果である。その上今日のように議員数が減少しても、住民は特に不安感を抱えていないであろうし、議会と言う存在に対して特段の不便さも感じていないのが現実のようだ。

当初から小生が伝えているように、「市町村の境界線は引いてない」のであって、便宜的にそれぞれの自治体と言う風に分けられていただけなのだ。その様な中で住民は自由に移動し、通勤、買い物などを自然に行っている。その様な日常に有って今後はそれぞれの自治体が独自性を発揮する事で、住民は一体何処に居住するのが良いのか。単純に土地が安い、あるいは建物が安く建てられると言った事が理由にならないような時代になってゆくのだろう。

「住めば都」という言葉を使う前に、「何処が都か」といった言葉が出てくるような市町村間差別が生じる可能性が充分あると思える。なぜなら、今回の平成の合併と言うのは「政府が主導し、今後の地方交付税を削減もしくは廃止し、国家財政を立て直す」というのが一番の主眼なのである。だから2000年に制定された「地方分権一括法案」で地方に対する権限の移譲を推進し、住民の日頃の生活に関する国の関与をを減少させておき、次に「三位一体の改革」によって財源の移譲と言う切り札を打ち出してきたのだ。ここではむしろ基礎的自治体(市であり、町村である、住民のもっとも身近にあって関与する自治体の事)はこれをチャンスとして喜ぶべきである。なぜなら今こそ合併によってそれぞれの体力(財政力だけではない)を高め、そして地域ごとに違うそれぞれの特性を武器として独自性を追求し、住民に「くらしてみたい地域」あるいは「ここが都」として選ばれると言う名誉を受ける事が出来るようになるからである。

今回一連の合併によって全国1,820市町村(市779、町844、村197)の基礎的自治体の使命は如何に住民に行政を意識させ、そして住民を参加させるかである。そのためには行政評価(事業評価)や、徹底した情報公開が必要となり、住民に見えるかたちでの行政が運営できるのかが重要なポイントとなってくる。

いかにしてより多くの住民を行政参加させる事ができるか、無関心な住民をどれだけ減らす事ができるかによってその自治体の活力が決定し、それぞれの役割を分担した上での協働の精神を浸透させる事が出来るであろう。

一方、住民は、自分の意思を表示する為に行動を起こすことが必要であり、決して「沈黙は金」ではないと言う事を改めて認識する必要があろう。自らの手で自らの町を作り上げると言う原点での参加により、個性溢れる地域作りに自助努力することで、自身の資産的価値(地域がくらしてみたいといわれるようになると、大勢の人々がその地域に集まってくる、この事によって周辺を含めた物理的地価価値が変動する事も考えられるだろう。従来はインフラによって変動する部分が圧倒的に多かったが、今後は精神的満足度などもその要因の大きな部分を占めるようになってくるであろう)が評価される時代が来るようになるのではないか。そこまで進化して初めて今回の市町村合併が成功であったか、あるいは失敗であったかが結論付けられると感じている。

今回をもって「市町村合併」特集は一旦ペンを置きます。2006年5月2日

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