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府中五山遊山記

東光寺(とうこうじ)

能成寺〜東光寺。およそ20分

能成寺前の道路に出てそのまま山すそに向かって道なりに向かいましょう、この歩いている道の右側には第二次世界大戦の折東芝甲府工場があり、そのおかげでこの辺り一体は空襲が激しかった場所との事です。しかしその頃は家はあまりなかったようです、ちなみに昭和23年に撮影されたこの辺りの航空写真が東光寺さんにありますよ。私が持っていた古地図(大正2年甲府市水道局で作らせたものらしいのですが)の道路を思い浮かべながら歩きました。それによると、東光寺の山門から真っ直ぐに南に下る道があったはずです。しかし途中で鉤型に曲がっている、これは軍事的には当然ですね。東光寺さんでは庭を見学させて頂く事が出来れば最高です、大概奥さんがいらして説明してくださいますが。

今回はこのまま愛宕山を越えて円光院に向かってしまうのももったいない気がしましたので、ちょっと寄り道をして「善光寺」に向かいました。東光寺から僅か5分程度ですから寄り道をしましょう、そして山門にある御茶屋さんでちょっと一息、次の峠越えを控えて心の準備です。(地図・東光寺周辺

東光寺
東光寺の山門
東光寺
東光寺
『東光寺は、城東からJR中央、身延線を渡った愛宕山の東の裾に位置している。愛宕トンネル開通、周辺地に工場が建設されるなど、その景観、環境は変化したが、室町時代の禅宗様式をいまに伝えている仏殿(薬師堂)から、古刹のおもむきが伝わってくる。
 東光寺は、新羅三郎義光が保安2年(1121)に、諸堂を建立した興国寺にはじまるといわれている。その後、わが国にはじめて、本格的な宋朝禅を伝えた蘭渓道隆(大覚禅師)が、弘長3年(1263)に入山して、荒廃した諸堂を修復し、禅刹として再興した。
 戦国時代には、武田信玄が外護、府中五山の一つに定められた名刹である。これよりさき、東光寺は、鎌倉幕府の執権北条高時(法名崇鑑)から、幕府の官寺として「五山」「十刹」につぐ「諸山」に列せられていた。
 この寺も、天正10年(1582)、織田信長に焼かれ、住持藍田和尚は恵林寺に避難したが、のち快川和尚らと火定に入った。現在に残る仏殿は、この時の兵火から奇蹟的に免れた室町末期の建物で、国宝の清白寺仏殿(山梨市)、最恩寺仏殿(富沢町)とともに、中世の宋様式建築の姿をとどめ、重要文化財である。』(以上は解説書から引用いたしました。)
東光寺
東光寺
東光寺
石臼を使った石畳
美しい現在の桧皮葺の屋根などの改修は昭和31年に解体修理が行われ、そして現在に至っています。
本殿に入る階段前には石臼を使った石畳があります。それがとっても趣がある、これは先代が一生懸命石臼を集め、そして作り上げたのだとか。
東光寺
東光寺寺仏殿
東光寺仏像
東光寺仏像
東光寺
本殿裏の庭園
東光寺
本殿裏の庭園
寺の背後の山をそのまま築山とし、傾斜を利用して滝ぐみを施し手前に池泉を配したものです。この庭園は県内に多く見られる大和絵式とはまったく異質で、中国風のテーマで作られています。おそらく蘭渓道隆の手になるものと言われているそうです。
この庭園は池泉観賞式庭園と言われ、滝は中国黄河中流の伝説の「竜門瀑(ばく)」の滝を登った鯉が、竜に変化する様を自然の石組みで見事に再現しています。写真の中にある池の中の人口石で船を表現しておりそのすぐ上にある石が鯉を表現しています。蓬莱山を表した山形石を組んだ景色は一幅の北宗山水名画を思わせる山梨県第一級の庭園です。

Copyright(C) 2003 by NONAKA Ichini

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