活動 | 議会 | 街づくり | 環境 | 言いたい放題 | プロフィール | ホーム | 戻る

「野中一二」の言いたい放題

2005年1月1日 謹賀新年 今年も不来明日

超高齢化社会がやって来る

新年にふさわしいのかと言われると、「これから間もなくやって来る時代」と言う事で「超高齢化した社会」での暮らし方、あるいはそのあり方について少しだけ探ってみた。

65歳以上の方が社会全体で占める割合が30パーセントを越えてしまうと、この言葉に該当するようである。しかも国立社会保障・人口問題研究所によると、2025年と言うのがこの節目に当たるそうだ。ここでの問題は社会保障面からだけが大きくクローズアップされ、いわゆる生産労働人口(15歳〜64歳)に対して高齢者(65歳以上)が多くなり、最終負担は1.4人/1人と言われている。これではまるで「長生きをしたらいけない」と言っているようである、あたかも現代版「姥捨て山」の推進となってしまいそうだ。

この年2025年は団塊の世代と言われた人々が70歳代を越え、定年後の優雅な生活を夢見て一生懸命働いてきた現実は老人集団への軋轢が強まり、JRによる「フルムーンパス」は使用者が増えすぎて廃止されてしまい、各種交通機関などで使用していた「無料パス」も発給中止、介護保険の利率はうなぎ上りとなり、世を挙げて老老介護が叫ばれる。「これからは若い世代に任せよう」と変革してきた政治の世界も、「お年寄りから戴く世界」へと様変わりしてしまう。と、この様な社会にしないためにも今残す20年をもって変えてゆかねばならないときが来たようである。

今後訪れる社会においては「自立した社会の構築」を目指し、現状の各種活動をもっともっと社会の中に並立して溶け込ませる事が必要になってくるだろう。

昔で言う「銃後の守り」に益々積極的に取り組む事である、少なくとも75歳ごろまでは働くつもりで準備する必要があるのではないか。勿論生産労働人口と同一の仕事をしなさいと言っているのではない、社会の30パーセントを占める割合があり、しかも思慮分別はしっかりと身につけた「新たな生産労働人口」として、過去に培った数々の履歴を発揮してほしいという事なのだ。

今後の新しいコミュニティーの中で高齢者たちは一人一人が自覚を持ち、生産労働に励む若い層の仕事を一人当たり20パーセントこなす事で、新たな労働団体が出現するのではないか。2025年の65歳以上の人口推計は3,313万人と言われているので、20パーセントの仕事をして頂く事で新たな勤労者団体として660万人分の仕事をこなす事が出来るのである。この660万人と言う数字は全国の建設業に従事する労働者総数とほぼ同一と言う、恐るべき新労働団体が誕生する事となりえるのである。当然ながら個人によるその格差は開きが出て当然である、ゆえに自身の心身を健康に保つという事に一層気をつけるようにして頂く事が大切になってくるのである。

予想される事態に対処するべく「健康維持」に努める事、この重要性は今まで以上に大切になって来る。その上、単に健康増進という言葉だけでなくいかに「楽しく生活に密着した健康作り」が出来るか、という難解なキーワードが二重三重に係わってくるのが今後の社会なのだろう。そのときにお勧めしたいのが「生涯スポーツ」である。

よくいろいろな軽スポーツを上げて、それらを総称して生涯スポーツと言っている。しかしここでお勧めしたいのは「本物のスポーツ」である、勿論従来から行っているグランドゴルフ、ゲートボール、ターゲットバードゴルフなどのスポーツを「偽物」と言っているわけではない。本物とは例えばサッカー、水泳、ゴルフ、テニスなどの世界大会が開催されている従来からあるスポーツと言う事だ。それらのスポーツをほんの少しルールを変更する事で、肉体的に衰えている(若い現役の選手たちに比べてという事)人々と同じ土俵で対決できる可能性を残して行う事が大切と言いたいのだ。

例えばサッカーならばグラウンドを狭くする、あるいはボールをやわらかいものにして、俊敏な動きが多少緩慢になっても充分楽しめるようにする。あるいは水泳ならばその距離を短くして25メートルプールが公認であるようにするなど、どのようにでも変更できるのではないか。テニスではボールを変える他2バウンドOKルールを摘要するなど、基本的なルールは従来といっしょであると言った具合に変更する事で、ウインブルドンの試合観戦にも力が入ると言うものだ。

ここでは「若い頃にやっていた事を記憶から消してはいけない」ということが最も大切な事となるのである。そして何より「若い時代にスポーツに親しむ環境の整備」が最も大切な事となり、生涯にわたる運動の機会を得る事が出来るのだ。

後20年もう遅いと言う言葉はそれこそ過去のものとなり、今からを生きる人々にとって今日が挑戦の第一歩となってゆく。なんとしてもこの国の国体を維持してゆくのは自分自身だという気構えを、今日、今このときから改めて持っていきたいものである。

間違っても「寝たきり老人」を作ってしまう「寝かせっきり」などや、「顔をふいてあげる」ことで自らの意思で顔を洗う事を放棄させるような介護は、人間にとって決して立派な介護をしてあげているのではない。少しでも自立出来るならそれを最大限尊重し、片手が不自由ならもう一方の手で顔を洗えるように補助してあげる事。多少でも移動可能であれば、その力をつかって好きなところに移動できるようそれこそ「介護」してあげる事。

私はその様な人間の本質的に持っている「尊厳」を大切にして、自らの過去の歴史を心に威厳を持って表現して頂くような支援こそが介護だと信じている。甲府市における介護の実態についても、この様な姿に一歩でも近づくよう精一杯の努力をしてゆきたい。

今年もどうかこのメルマガをご愛読ください

メールマガジン『野中一二の人は石垣、人は城』 平成17年01月01日・第89号所収

[言いたい放題] [ホームページ] [戻る]
Copyright(C)2005 by NONAKA Ichini