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「野中一二」の言いたい放題

2005年6月26日 市街地活性化の息吹がまた一つ

昨日、甲府市中心街に「桜座」が75年の歳月を経て再びオープンいたしました。

桜座柿落とし
桜座柿落としのチンドン

そもそも桜座とは、明治9(1876)年8月、魚町の魚商人三井与平によって桜町2丁目(今の中央1丁目)に三井座(後の櫻座)が建てられたところから始まっています。

明治17(1884)年に櫻座と改称されて、その3月9日には披露興行を。その後明治13(1890)年8月には桜町4丁目(今の中央1丁目)に移され、その後時代が大正期に入ると、芝居に対する興味も歌舞伎から新時代の演劇と移り、激動の全盛期には櫻座で上演された数々の近代劇も好評を博しましたが、松井須磨子の「カチューシャ」は甲府の人々を熱狂させたそうです。

明治・大正・昭和と時代と共に歩み、市民に涙と笑いを振り撒いた芝居場も、活動写真に始まった映画の時代には勝てず、次々と映画館となっていきます。そうした中、昭和5(1930)年11月、残念ながら櫻座は姿を消したそうです。
詳しくは桜座ホームページに書いてあります。

江戸時代より一流の歌舞伎役者や芸人たちが甲府の芝居小屋で役を仕上げ、そこでの興行成績が良いと江戸(東京)の公演では給料が上がったそうです。これを「給金直し」と呼んだそうで、如何に甲府の庶民文化程度が高かったかが解る言い伝えです。古く大正浪漫前後のにぎやかな甲府の市街地を彷彿させる櫻座なのです。

同時にこの反対側には道の駅ならぬ「銀座街の駅」が誕生し、こちらでは高齢者支援と子育て支援が行われると言う事です。考えてみれば単純に高齢者支援、子育て支援だけでは片手落ちですね。両者(桜座と街の駅)が相まって商工会議所の支援事業と言う括りで捉えると、全ての年代層に一定の理解が得られる施設と言う事になるのでしょう。この様な全世代的施設が出来たことにより、周辺の商店の方々もそれなりの理解が得られ、同時にこの施設を核にして文化芸術活動が一層身近なものになってゆく、こんな街づくりをこれから目指してほしいと感じました。

桜座柿落とし
田中泯(みん)さんと丹沢理事長

「桜座」、きっとここでは大勢の方々がわくわくどきどきすると思いますよ。NPO法人「街づくり文化フォーラム」の丹沢理事長さん、この様な施設を作って戴いてありがとうございます。

メールマガジン『野中一二の人は石垣、人は城』 平成17年06月26日・第105号所収


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