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「野中一二」の言いたい放題

2005年11月10日 歴史公園の工事は進む

歴史公園の工事
出土した石垣のこの上に組み上げてゆきます

今日の産経新聞にもありましたが、甲府駅北口の核となる施設整備の内で最初に着工した「歴史公園」の整備が進んでいます。

産経新聞記事、「甲府城の石垣復元 出土した石を再利用 来年度完成へ」と言うタイトルで記事がかかれています。結構内容の濃い記事で、取材した方は本当に興味を持った方なんでしょうね。

ここは以前(平成10年)に発掘調査を行った場所ですが、その時に「山の手門」の存在が確認されていました。写真や文献からもあった事が確認されている物で、そのためにこの場所は建物を建設する事が事実上不可能だった場所なのです。それならばと市が買収し、公園整備を行う事とした場所です。

「サマーINきたぐち」もこの場所で行ってきましたが、今回の工事のため一旦中止しています。今回の工事では、地中約1〜6メートルから見つかった石垣の上に新たな石を積む方法を取っていますが、古い部分は地中に埋め戻してしまうため、公園が完成した暁には上部の新しく積増した部分しか確認出来ません。そのため今日の視察となったわけで、ちょっとだけでも記録に取っておこうと現場に向かいました。

当然工事現場ですからヘルメットの着用は必須条件、但し私の場合は頭がでかいので、防災用に備えた特注品を家から持参で向かいました。

歴史公園の工事
この様に松の丸太が石垣の一番下に半間程度の間隔で敷いてある

この場所はJR線の北側、北口2丁目地内山梨文化会館前で、約6,000平方メートルの広さが有ります。工事は石垣の組み立てに着手したところですが、掘ってみると設計図より1メートルほど北よりに城壁があることが解ったそうです。そのため当時の壁の寸法に合わせるべく設計変更を余儀なくされたとか、石積みをする前の調査でよかったですねえ、たった1メートル、10平方メートルですがびっくりするぐらい費用がかかるものなのです。

歴史公園の工事
出土している古い石垣

この石垣は、1580年ごろの甲府城の築城とともに造られたようです、それでもずいぶんと大きな石が使われていて驚かされました。実際の当時の工事では、天主台などの構造物を先に作ってから最後に周囲の堀や城壁を作るのですから、このあたりでもこんなに大きな石が使われているということは、やはり基となった一条小山や、石を切り出したとされる愛宕山南部には豊富にこのような石があったのでしょう。

復元の基となった柳沢吉保が統治していた頃(1700年頃)の絵図には城門は3カ所あることとなっていますが、この場所では復元される北側の山手門(高さ約6メートル、幅約11.4メートル)、その奥には、山手渡櫓(やまのてわたりやぐら)門(高さ約11.4メートル、幅約13.8メートル)と呼ばれる門を復元するとしています。ちなみに残った2つの門は、西側の柳門、南側の追手門ですが、この場所は現在の県庁付近となっているため復元は難しいでしょう。

ここでの石垣復元工事は甲府城本丸と同じ材質の石を使い、セメントなどを使わない「野積み」という工法で行います。石は地中から掘り出したものや、県内から集めた物で、工事現場一面に石が置かれている状況は実に騒然としています。石垣のあいだにはすき間ができないよう大きな石の間に小さな石(この様な石をぐり石といいます)を埋め込むため、数種類の大きさに分けられた石の山が、今からの工事の手間がいかほどのものか良くわかります。

歴史公園の工事
石垣組の内側には最新技術が

今年度中には石垣の野積み作業を終了させ、来年度からは山手門工事に着手する予定だそうです。建築工事となると、大きな小屋で囲ってしまいますのでしばらくは見る事が出来ません。そうなってしまう前に是非一度現場をご覧下さい、勿論中に入ってではなく、一番の眺望は舞鶴跨線橋ですよ。工事完成は18年度中の予定です、完成したらこの場所が「稲荷櫓」の絶好のビューポイントとなります。出かけましょう、お弁当持って。そして最後は「ごみは持ち帰って」です。

メールマガジン『野中一二の人は石垣、人は城』 平成17年11月10日・第119号所収

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