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「野中一二」の言いたい放題

2009年7月19日 安く買うことの功罪

昨年来の景気の落ち込みで、商業関係者も言うに及ばず激戦を繰り広げている。
そのような中で最近では300円以下で弁当を販売しているスーパーが増えている。
一体この値段で何が入っているのか、気になったので県内大手スーパーのO社・Y社へ出かけてその商品を確かめてきた。確かに存在している、値段は280円と270円(税抜き)であった。その味は格別おかしいということもなく、おかずについても普通の弁当と何ら遜色がない。しかしどうすればこの値段で販売できるのだろうか、使っている素材などについても確認したくなったのだが今回は止めておく事とした。

すべての商品で定価販売しているものはないといってもよいのが現在の小売市場である。あるものはネットで買えば店頭で購入する半値なんていうのもざらである、またどうやって作ればこの値段になってくるのだろうかと思うような品にも行きあたる。

工業製品の場合は大量生産大量販売ということも考えられるのだが、野菜・魚・肉といった食料品などもご多分にもれずこの価格でよいのかと思ってしまう値段で販売されている時代である。今が旬のモモなど果物は、一年に一度しか収穫できない。
そのために農家の方々は丸々1年かけて畑を耕し土を作り、剪定をし摘蕾・摘花など気の遠くなるような作業を繰り返してきて今日の収穫を迎えている。それがいとも簡単に98円/1個などと書かれていたら、今までの苦労は何のためだったのかと感じてしまうことだろう。

昨今の消費者は物に対する感謝の気持ちを忘れてはいないか。

どんなものでもそれを作った人が必ずいるはずである、野山に自生しているものでもそれを取ってきてくれた人が必ずいるはずだ。工業製品でもすべてロボットが作ってくれるわけではない、あるいはそのものを作ろうと汗を流して開発した方が必ずいるはずだ。

にもかかわらず、「物を安く買う」という行為によって、買った品物に対する感謝や、作ってくれた人々に対する感謝という気持ちをすっかり忘れてしまってはいないだろうか。それに加えるように「安く買ったからもうかった」という気持ちが心のどこかを支配してしまってはいないだろうか。

どうやらそのあたりに荒んでゆく人の心の移り変わりがある気がしてならない。我が国においてはこれに火をつけたのが「ダイエー」ではないかと考える。とにかく1円でも安く、そのあとは機械的にレジスターを利用し、人が考えるという動作を省略しこれを合理化と呼んでもてはやした。その売り場には心などかけらも存在することなく、とにかく物を売るに徹してきた。また中間に流通業者がいればその存在を否定し、自らが流通革命と称し生産者から直接消費者に物を売る。(もちろん決して心は届かない)

贈り物を届ければ、「もらったものは俺のもの」と言わんばかりに暴虐な消費者を育て上げ、これが時代だからと言って生産者を痛めつける。こんなことの繰り返しでは、ますます人の心は荒んでゆくに違いない。

スローライフという言葉がよくつかわれるようになってきた。これも今の時代の殺伐としたムードに危険を感じている人が多くなってきたからだと思ってはいるのだが、そんな言葉よりもっと簡単に、日本人とは何かということを考えたほうが理解しやすいと思っている。少なくともDNAはしっかり記憶してくれているのだから。

昔こんな言葉がはやっていたのを思い出す
「地に働けば角が立ち、情に棹差しゃ流される、とかくこの世は住みにくい・・・」
しっかりしろ、日本人

メールマガジン『野中一二の人は石垣、人は城』 平成21年07月19日・第205号所収

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