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「野中一二」の言いたい放題

2009年7月30日 坂本龍馬と太宰治のすれ違い

いったん明けてまた戻ってしまった梅雨明けがまちどうしいですね。

本日のタイトル、何を血迷ったかと言われるかもしれませんが、実は非常に面白い 歴史の事実が二つありました。

千葉さな子のお墓
千葉さな子の墓石

甲府市朝日町5丁目にある清運寺という日蓮宗のお寺さんに、千葉さな子(佐那とも言います)さんと言う方のお墓があるのです。小田切家の墓地内にあり、江戸の桶屋町で千葉道場を開いていた千葉定吉の長女でした。千葉定吉とは北辰一刀流で有名な千葉周作の弟で、坂本龍馬はこの定吉の千葉道場で、安政三(1856)年から五(1858)年までの三年間、剣術の修行に励んでいました。その縁でさな子と知り合ったわけです。さな子はなぎなたの名人で、龍馬も後に一番美人だったという手紙まで残しているのです。

龍馬が殺害されたということを風の便りに聞き、さな子はその後、家伝の灸で生計を立てていました。その灸の患者である自由民権運動家の小田切謙明夫妻と懇意になり、さな子の死後、豊次夫人の好意により無縁になる谷中の墓地より分骨し、小田切家の菩提寺であるこの清運寺に墓を建てたのです。墓には「坂本龍馬室」と刻まれており、室とは妻の意味ですからこの文字だけで思いが伝わってきます。さな子の墓は多くの坂本龍馬ファンや、剣道の修行をしている方がさな子の強さにあやかりたいと必勝祈願に来られることが多かったようです。

坂本龍馬室という字が見える

千葉さな子のお墓

またこのお寺さんの参道に面した寿館という下宿屋さんに住んでいたのが太宰治だったのです。甲府在住の石原美智子さんと結婚するまでの間(昭和13年11月〜12月)ここは当時婚約していた石原美智子さんの家にも近く、この参道を通って太宰も美智子さんに会いに通ったことでしょう。当時この参道は石畳でしたが今はアスファルト舗装になっています。現在太宰が踏みしめていた敷石は境内に移転して藤棚の下に敷き詰めてあります。

太宰治は坂本龍馬のことを知っていたのでしょうか、それにしても時間の軸を西暦一昔と考えれば、ほぼ同じ時代ですから面白い。その上清運寺さんは1500年に作られた歴史ある寺院で、場所が移動していないので古地図などで位置を確認する場合の大切な目印になっています。その上ここには甲斐犬を世に送り出し、甲府動物園を開いた「小林獣医」さんのお墓があります。甲府にはこの様なわくわくする場所がいっぱいありますね、一度皆さんも散策してみたらいかがでしょうか。

入口にある妙詮寺さんは住職さんが私の同級生ですよ。
両寺共残念ながらこの一帯は空襲で全焼してしまったようです。

清運寺さんのホームページ
(今回の記事中、清運寺さんのお書きになった文章を引用させていただいている部分があります、どうかお許しください。ホームページには清運寺さんの正式な文章が記載されていますのでそちらもお読みください)

メールマガジン『野中一二の人は石垣、人は城』 平成21年07月30日・第206号所収

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