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「野中一二」の言いたい放題

2009年11月22日 愛宕神社はつつじが崎館と甲府城の鬼門除けであった

愛宕神社
愛宕神社本殿

そもそも鬼門(きもん)とは、北東(艮=うしとら:丑と寅の間)の方位のことを指し、古来は鬼が住むと言われた方角とされていました。鬼とは、もろもろの目に見えぬ災いをもたらすものとされていましたが、今では角があったりお面で売っていたりとずいぶん具象化されてしまっています。
愛宕神社の歴史をひも解くと愛宕権現と言う名で、創建が1519年とあり、武田信虎公によって相模の国より勧請されました。この年8月甲斐府中つつじが崎館築城の折、館の鬼門鎮護の社として古府中日影村に作られました。
その後武田氏滅亡と共に新たな甲府城を一条小山の地へ築城するにあたり、鬼門鎮護の社として甲府城天主台の高さと同じ標高で城の北東方向の現在地へと遷座されたのです。
以後は徳川家康公戦陣祈願所として崇敬を受け、方位除け・鬼門除けの社として歴代城主によって手厚く保護されてきました。

 
愛宕神社
桃山時代に作られた国宝の穴切り神社

一方、一条小山の裏鬼門として穴切神社があるのは有名ですが、この神社は桃山時代にはすでに建立されていて、甲府城が出来た時にはすでに500年近い歴史があった事から、自然に裏鬼門除けの神社として庇護を受けました。裏鬼門と言うのは南西方向で、この方角からは太陽の恩恵を大きく受け過ぎてしまう場所として、台風など人間の力ではどうにもならない自然災害が南西方向から北東方向に向かってやってくると言う現実が強く反映して祀りを行ったようです。

 
愛宕神社
天主台と同じ高さであることが分かります

取材中方位に詳しい愛宕神社小山宮司さんとお話をする中で、これらもすべて都市計画の一環として行った事で、古代から続く都市計画と言うのは百年、いや千年たってもしっかりとその地に根付いている計画だと言う事を改めて認識しました。
これからの甲府づくりを推進するについて、先人たちの業績を土台にして、今まで以上に骨太の計画を作ってゆく必要があるでしょう。

 

愛宕神社 住所 〒400−0023 甲府市愛宕町134 電話 055-252-0042

メールマガジン『野中一二の人は石垣、人は城』 平成21年11月22日・第209号所収

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