2005年6月23日 いよいよ北口整備が始まった
昨日22日に甲府駅北口30号街区(甲府駅北口を出て陸橋の東側、山梨文化会館の南側になります)において、歴史公園の起工式が行われました。いよいよです、私としても長かったこの7年間でした。
思い起こせば平成11年4月の事、初当選してしばらくするとこの地域の方々から「相談に乗ってほしい」と言う言葉がかけられ、役所で確認するととても現状のままでは事業予定された時期までには完成は無理だとわかりました。甲府駅周辺整備事業、北口地区区画整理事業などが複合された開発は、平成2年から粛々と進む予定でしたが、あいにくのバブル崩壊。26.1ヘクタールと言うその事業面積に対して区画整理対象建物301件、そして幻の「アーバンスタディーセンター」などなど。
これらの事業をどのようにして進捗したらよいのか、当時の英字新聞は「地獄のふちに取り残された町」と評して一ページ記事を書いていました。テレビでも特番が組まれ「日本一遅れている駅前整備事業」だと表現されていました。いわゆるぼろぼろ状態、しかしそんな中でも住民の苦しみは想像を越えるものがありました。時間経過がもたらしたものは建替えや修繕が出来ないという家屋、勿論これらを行ってもいつかは解体されてしまうとなれば手がつかない。思い切って解体した後は放置されたような駐車場が広がる駅前の風景、そして朽ち果てようとしている空家の連続でした。住民達を説得し「お祭りをして盛り上げよう」とはじめた「サマーINきたぐち」も第5回目まで続き、やっとこぎつけたと言う感じの起工式でした。
さあ始まりますよ。約5年で駅周辺の拠点形成と言われている建物や公園は殆ど完成します。並行して朝日地区横沢地区と言った線路沿いの地区の区画整理事業が進んでゆきます、こちらも住民が自らすんでみたいと言う町を作ってゆく事が望ましいと考えています。そのための住民主導の協定や計画の締結に向けて、21日新たな気持ちで私も協力しますと言う事で動き出しました。平成25年の計画完成に向けて、大きな一歩を踏み出したと言う理解でいます。
後2年、とりあえず歴史公園が完成したらまたお祭りを復活させましょう。今度は歴史公園を舞台に甲府の南北を練り歩くようなお祭りがいいですね。
ちなみに今回復元される山手門と山手渡櫓門(やまてわたりやぐらもん)は、現在の稲荷櫓より大きな復元建物となります、そうなると県の威信は丸つぶれになってしまうのでしょうか。なになにさすが県のやる事はしゃれてるね・・・と言わしめるような図書館を作ってほしいものです。
メールマガジン『野中一二の人は石垣、人は城』 平成17年06月23日・第104号所収
パンフレットからご紹介します。下図の説明文をクリックすると大きな図が別ページで開きます。
[ページトップ]
[言いたい放題]
[ホームページ]
[戻る]
Copyright(C)2005 by NONAKA Ichini